レビューアの方に向いて聴こう


文が作った文書を他人に見てもらうことはとてもストレスを感じたり指摘されることが恥ずかしいと思っていませんか。こんなネタを月曜の朝から振るワタシだって他人に自分が作った文書を見てもらうことは得意ではありませんし状況や文書を見てもらう人によってはとても居心地が悪いときがあります。


でも、いつの間にはそうした居心地の悪さは別の気持ちに置き換えらえるようになったのはオジサンになったから、やっと大人になったからかどっちなのでしょうね。


じゃあ、ワタシはどう受け止められるようになったかそれを幾つか並べてみることにします。


すべてのコメントはワタシの文書を良くするための好意から発している
てにをはから構成の矛盾についてレビューアから様々なコメントが発せられます。それをいちいち応える、つまり受け止めるという考えは一旦棚に上げてしまいます。


その代わり、すべてのコメントはワタシの文書を「良くするために」してくれていると受け止めます。


当たり前のことですが、自分の手にかかった文書という作品を前にコメントがつくとつけられるコメントに対して言い訳や思うところを言いたくなるものです。


レビューアにはそう見えている
それを「グッ」と堪えます。これはワタシの文書をレビューアの目線で見たら「コメントがついたように見える」と理解します。


ポイントは理解するだけです。


その上で、ついたコメントの立ち位置なら同じように感じられたら修正するのです。だって、コメントをくれたレビューアと同じような視点で読んだら同じような印象を持たれてしまうのですから。


時間を占有していることを忘れない
ワタシがレビューアになったらレビューイの文書を見る時間だけ、それに使うことになります。同じようにワタシの文書をレビューアに見てもらう時間をとってもらう、占有してしまっていることを理解しましょう。


レビューアはそのことに対してどう思っているかはわかりませんが、お願いする側が勝手にそう思って応対すればいいだけです。良いことは振る舞いにも良い影響を与えるますし。


期待に沿うレビューのオーダをする
もし、レビューアのコメントがてにをはばかりだったり、期待と違うコメントばかりならレビューの依頼の方法が間違っているのかもしれません。


そのときは、レビューの観点を伝えているかを確認しましょう。また、レビューアはその文書で扱っているエリアに相応に詳しいかを確認しましょう。


これだけでかなり穏やかにレビューのコメントを受け入れられるようになりますよ。