ワタシたちには強いチームは得られないがチームを変え続けることならできる
ワタシたちには強いツームを手に入れることはできない。なぜならば、ワタシたちに与えられる人的リソースはギブンだから。そう、その人的リソースは、マネジメントからアサインされるかもしれないし、願いが叶ってジョインした人的リソースかもしれなけれど、何れにしても、いまのチームのメンバ構成、いま時点でのメンバのスキルレベル、そしてチームの成熟度は今時点でしか存在しないから。
ならば、チームは受け身でしか活動できないのかといえばそれもまた違う。チームはメンバが望めば変わることができる。良い方向にも悪い方向にも。
それでも、ワタシたちには強いチームは手に入れることはできない。
どうしてか。
それは、強いチームを知らないからだ。強いチームとか誰の価値観でどのような強度での強さか。柔軟性のある伸びしろのあるチームなのであればそれはしなやかなチームと表現した方が良いのではないか。強いチームもしなやかなチームのどちらにしろ、ワタシたちは手に入れたことがないのである。
新しく参画するメンバがそのチームで貢献できるかどうか、それはチームがそのメンバの強い面も弱い面も受け入れられるかにかかっているし、新しく参画するメンバがチームの文化、暗黙の文化を受け入れられるかにも掛かっている。
チームのメンバ同士がお互いを受け入れられるかどうか。どうすればそうした儀式を経て新しく参画したメンバを含めリニューアルされたチームとして営むことができるのだろう。
仕事上の役割分担だけで可能なのだろうか。
プロフェッショナルサービスなのであれば、そうでなければならない。契約上での義務を果たすことが最優先だからだ。ただ、そうしたことは前提としてさらに意思疎通が捗る手段があるのであれば、それは推奨されるべきものだ。
一番手軽でお互いの価値観がわかる手段は食事である。食べることに関心がない、執着がある、一緒に食事をとるメンバへの気遣いの有無。たかが食事を1回することで相手の価値観を知ることができる。
価値観は、鎧を着ている状態であればなかなか覗くことはできない深淵の中に閉ざされていることもある。それが食事のときは少しだけ緩むのだ。食事という本来の集中すべきことに気を割かなければなず、鎧で隠す価値観まで手が回らなくなってしまうから。
それはお互いに無防備な状態で自分の強い面も弱い面も見せられるということでもある。
そしてそれがお互いに取り交わすことができるとき、その相手を信頼を持つべき人物であるかどうか見極めるタイミングでもある。
ワタシたちがチームを組むときに必要なのは、絶対的な信頼という基礎の上で、である。相手を頼って良い人物なのかどうか。信用ではない。信頼である。
信頼が交わせる上でワタシたちがチームとしてできること。それは強いチームを手に入れることではない。強いチームは存在しない。仮に存在しても、ワタシたちのミッションにフィットするかどうかは別の次元の話である。
そして大概、フィットしない。
ワタシたちが望むチームに近づくためにできることは、自分たちのお互いの信頼の上でチームを変え続けること、なのである。