仕事で正義と感情を持て余したら


ミーティングをしていて報告をしてくれているメンバが段々とエスカレートしてきた。どうやら、報告対象の部門でルール違反に触れるようなグレーに映る対応をしていた案件があるらしい。報告をしているメンバは、対象の部門に対してその案件について追求するべきだと主張している。一頻り熱くなった後、どう扱ったらよいか判断を求めているが、そのメンバの腹の中では追求することに半ば決まっているのは確かめる必要もないくらいだ。
#あぁ、うっとうしい。


メンバは次のようなことを主張しています。

・ルール違反であることを遡求して追求したい
・放置すればまた同じことを繰り返すので許せない


ワタシはそれをどう理解し、どうサジェストする思考経路をたどったか。

・案件の処理は基準があり、その基準に合致していればいい
・許す許さないは個人の感情であり議題にしない


メンバの考えに問題点をつけるなら、対応に正しさの追求と感情が含まれていることです。正論や正義を前面に出して振りかざしても仕事では誰も幸せにはなれないのです。


ルールがあり、その上でのアクティビティの範疇と判断できるのであれば、それでやっておけばいい。それよりは、そのルールの欠陥の可能性について問題提起をした方が100万倍も建設的で実施の暁には効果があります。


エラーになったとき、疑問を投げつける先はルールやしくみの方です。人に投げつけても人が起こしたエラーは精神論でしか解決策を導き出せないのです。


もう一つの「許せない」という言葉も思考を停止する危険な言葉です。自分の感情が満足するまで振り上げた言葉は下がらないのです。そのエラーが仕事の上でのエラーなのであれば、訂正しなさいで済むことです。そこに個人の感情が混濁すること自体に危うさを感じられずにいられないのです。


仕事で自分の感情が先走ったら、メモでもいいので一旦書き留めておいて1時間くらい放置してみましょう。なんでそんなことに許せないなんて思っていたか馬鹿らしくなるはずです。


仕事では、正義はあまり出番はありません。ルールに沿っているかどうかコンプライアンスとしての判断基準として登場するくらいです。ルールに沿っていること、嘘がないこと。人が間違ったら間違いを起こしたルールを見直すことです。


そしてそこに感情を混ぜないこと。感情は判断を誤らせます。