自然と動けるチームは自然に作れない


不思議なんですが、何も仕組みを作らないで理想のチームができると思っている人が少なからずいるのですよね。そう思っている人はご自分では一切何もしないでも、チームになるメンバを集めてさえ来れば自然と動くチームが出来上がる、と。もしそうなのだとしたら、なぜチームワークなどの実例を聞きたいとか本が売っているのかを考えて欲しいのですが、棚ぼたというか自然発生的に自律的な理想のチームができると思っている人は少なくないのです。


チームを作るときにはマネージャやリーダの思考が強く反映されるものです。家風のようなものでマネージャの意図があってそれに合わせてメンバを集めてチーミングします。それが意識的にか無意識的には問いませんが人が判断をして行動を取る結果には判断を通して意思が反映されているのです。


ところが、実際召集され編成されたチームのメンバはそういった判断の意図やチーミングしたマネージャの背景を知りませんから、チームの立ち上げにおいてこれまでの経験をベースに動こうとすることになります。


ここで問題になることが、

  1. マネージャからチームへの暗黙の期待
  2. チームメンバ同士の価値観の衝突


があります。チームへの暗黙の期待が現れるのは、チームとしての結果が現れマネージャに対する外部のチェックが入るときです。例えばプロジェクトの進捗が芳しくないときに

「こんな当たり前のこともできないのか」


という言葉で表現されることがなんと多いことでしょうか。こういうケースのマネージャは往々にしてメンバを集めるだけ集めて丸投げしてトラブったら文句を言うタイプです。チームもこのようなマネージャの期待を聞くなんて稀ですからどっちもどっちというレベルの低いところでの話です。


一度、プロジェクトにアサインされたときに是非尋ねてみてください。「このプロジェクトに対する期待はなんですか」と。すっと出てきたら何かしら思いを整理しているということになります。「そうだなぁ」なんて始まったらその場で考えていると思って間違いありません。そういうマネージャの期待は変わるのでエビデンスを取っておくといいかもしれません。でも、そういった思いつきで話すマネージャはなんだかんだ言って躱そうとするので使うタイミングは難しいかもしれません。


尋ねてみる相手を自分たちに向けてみるのもいいでしょう。メンバが集まったときに「自分達に期待されていることは何か」と投げかけることでチームの価値観の一つを言語化を介することを経るため、それをする前より少しだけ近しいものへ変えることができるでしょう。


自然と動けるチームの自然とは阿吽の呼吸でとか先行きを察してとかで言い換えることができるチームです。これはメンバ全員が次にすることがわかっていて、同じように実際に動ける状態であるということです。そういった状態のチームは自律(自立ではありません)している状態です。自律ですからメンバが自らを律するための規則が必要ですし、誰からの指示を待っているようでは成り立ちません。


こうした自律しているチームがメンバをアサインしただけの状態で成り立つと思う方に無理があるのです。無理なら誰かがそれをしなければならないし、それを率先するのがチームのリーダですし、促すのがマネージャのロールとなるわけです。


ここで今日のタイトルに戻るわけです。稀に自然と自律して動けるチームができる場合もありますが、それは組織の中でのプロジェクトで過去に同じメンバでプロジェクトを編成した経験がある場合に限られます。人は経験の延長線上でしかものごとを思考できませんから。