ゴールデンウィークは自分に対する課題解決の訴求を迫る良いチャンス


最近、読書量が激減しているのが気になっていたところに、別の意味で気になっていたタイトルを知ったのでゴールデンウィーク前に手配しておいた本を早速読み切りしました。続・終物語なんて途中で積ん読になっていると言うのに。



読書量が減った理由はなんだろうと思うと、知識を取り入れないと課題が解決できないゾ、という自分に対する課題解決の訴求が自分で足らないのだなぁとわかっているんですが。ただ、ちょっとこの春からは環境が少し変わったところもあるで徐々に元に戻すことはできると思うのですが。


で、知がめぐり、人がつながる場のデザイン―働く大人が学び続ける”ラーニングバー”というしくみですが、新人研修の講座を持っているのでそのバージョンアップをどうしようかな、と思っていたところにタイミング良く情報が入ってきたのでポチっと。


新人研修の講座を作るときに気にしていたことは、講座の目的や受講をしたら得られる期待など講座設計をきちんとしようと思ったことです。でも、なぜそれを気にしたのかというと、新人研修の講座をオファーを受ける前に経験したあとの自分の振る舞いが良くなかったことに気付いていたからでした。


まだ研修のような形になる前のワークショップで受講者の反応がイマイチだったときの振り返りをしたときに、自分のことをは棚に上げて受講者に問題があるとしてしまったことでした。そんな振り返りは振り返りじゃないな、と自分でも薄々と気持ちが悪いことに気づいていてそれを心の奥底で引きずっていたということです。



で、講座のオファーをもらったときにそれまでの自分の中で積もっていた課題をこの本で清算したんですね。わたしにとって負の経験でしたから敢えて清算の字を使っています。


さて、話を元に戻します。知がめぐり、人がつながる場のデザインですが、この本で気づいたことをいくつか。


まずは、この本の80ページくらいまでは集中をして読もう、と割と意識して読み進めたんですが120ページを超えたところで読書の勘を取り戻した感じでした。そのあとの対談がおもしろくここで一気に加速した感じです。



自分でつぶやいていてあれなんですが、これ、ほんとそう思うんですよ。なぜ、もういい歳したお父さんが仕事の勉強をしないといけないのか。仕事でなくてもいいんですが。ツマラナイ研修を受けるくらいなら仕事をさせろよって思うじゃないですか。それって課せられる研修なんですよね。自分のための研修になっていない。そんな研修ならそれの代わりに本を読んで実戦で試してみるほうが何倍もいい。
#でも、多くのシステムエンジニアって自分で自己研鑽のための勉強をそれほどしていない…。だから技術書が売れない…。



自分でそう思うのなら、講座を組まれていて拒否権のない新人のシステムエンジニアたちだって同じですよね。ただ、新人研修中は知識を身につけることがお仕事ですが。となると、新人研修を受ける新人の立場になってその講座を作りたいと。そう気持ちがバージョンアップしようという一つの動機になったのです。
#他にもバージョンアップしないといけない理由があるといえばあるのですが、それは運営でのテーマなのですけど…。


あまり使わない言葉ですが「ツマラナイ」研修って、研修自体にしらけているですよね。斜に構えているっていうか。だから積極的に受講したときと気づきの量が全然ちがう。これって「気づきセンサー」の感度の桁が違っているんですよ。しらけている場合は受講者自身が感度を下げちゃう。そのためにどうするかっていうのも工夫の連続だと思うんですよね。


工夫すること自体は連続でも断続でもいいのですが、ただ、同じパターンでやってしまうと(本にも書いてありましたが)代わり映えしなくなっちゃうし、別に突拍子のあることを取りれないといけないわけでもないという二面性もあるのでどう着地点を見つけるかは、何を変えたいのか課題なり講座の問題なりをどう設定するかによりますね。



まぁ、新人研修をバージョンアップするきっかけはそうなんですが、それは講座を再設計する講師である自分にとってはまなびを促すことになるのですよ。それを気づいていても握りつぶすこともできるし、見過ごす選択肢を選ぶこともできます。でも、それは自分で持っている講座を過去のものにしてしまう、価値を自ら下げてしまう行為でもあると思うのです。その講座品質はわたしの価値観と一致するかどうか。自分の名前が載っている講座が今の自分を表しているか。講座品質は、講師の品質に対する価値観ですから。
#まぁ、面倒ではあるんですが。


ということで、講座をバージョンアップしながらわたし自身もバージョンアップしちゃおう。