議論に集中するための資料作成の技術


検討資料や文書などをつくるときに、5つの観点で文書を作り、作った文書を見直すととてもわかりやすいし、検討資料などはその狙いのである議論に集中できるんですよ。逆に言えば、この5つの観点をしっかりチェックしておかないと枝葉末節の「てにをは」や粗探しに入ってしまって本来の目的の議論にたどり着かない。それでは集まってもらった人の時間もコストもドブに捨てているようなものだし、その検討資料や文書を作っている自分自身の時間もコストも無駄にしてしまっているわけで。


標題と内容が一致しているか
大したことのないようなことの思えたら、ちょっとヤバい。標題は、資料や文書を構成する骨格なのです。その骨格がちぐはぐならそれはそれで何を議論したいのかとか、文書で定めたいことをが読者にわからなくなってしまうのでとてもヤバい。


あるべき論で言えば、最初に文書の構成を考えてから、内容を書け、というところ。一番優しいのは、目次のページを作って、そこで検討資料や文書のプロットを書いてしまう。

・目的
・検討
・課題


あらあらな目次なら、この3つで十分だけれど検討の目次は現実には数ページに分かれるだろうけど。


取り扱う検討資料や文書を初見の人は、何に対して意見を求められているかを知ろうとするから、検討資料や文書の内容を把握することからはじめるものです。いきなり検討資料の内容に入っているようだと、枝葉末節なところで議論がスタックしてしまうからそうならないためにも目次のページか全体概要がわかるページを冒頭に入れても良いです。一番オーソドックスなのは目次ですね。


で、標題と内容が一致しないと何を訴えているのかがわからなくなってしまう。何を議論したいのだ、と。そうなったら粗探しの始まり。そうならないようにするためにも目次を作って何を書くかをしっかりと決める。


書いているうちに標題の表現を変えたくなったらそれは変えればいいので、絶対変えてはいけないものと思う必要はないです。大事なことは標題をきめたあとに内容を書いていて標題とずれてきたら、忘れずに標題も変えておこう。


取り扱うテーマの範囲は
検討資料や文書で扱う範囲を特定しないで文書を書き出してしまっているケースをよく見かけるのですが、これ、議論の肝心なところに入って行ったときの判断をする際に困ることになるんですよ。


判断をする際には、判断を指定良い人=分掌の範囲かどうかが大きく関わるから。権限がないなら判断はできないし、できてもアドバイスくらいまでですし。


網羅的か
検討資料や文書での議論のテーマに載せる検討対象とそれ以外を分別しないと判断なんてとてもできない。そうした議論の中と外の界面をはっきりさせた上で、その界面の中についても対象となる選択肢が網羅的に一旦整理しておかないと、議論の中で「あのケースは」「この例外は」とか各論のドツボにはまってしまうので危ないです。


界面の中の対象を網羅的にするのはある意味座席表を作るようなもので、それが議論の全体の母数になるわけです。それがあって初めて議論の全貌が見えるし、その中から絞り込みの土台もできるわけです。


だいいち、座席表自体が作れなかったら、いくら議論をしても検討漏れが無限に指摘されるわけです。それでは意味のある議論はできないです。



絞り込みのロジック
座席表があるので、全体の母数集団は押さえてある、と。そういう状態を下敷きにしてるから、議論したい対象を絞り込むことができるわけです。


そうした絞り込む条件を感覚で作り上げる人を時々見かけます。怪しいな、と思うときはその絞り込まれている条件を聞くと大体が明確に答えられないか、条件を設定した背景が説明しきれないことが多いです。


そうならないようにも絞り込み条件は絞り込むという基準を決めることと、それを議論する検討資料や文書で明示的にしておくことが、絞り込みロジックを説明していることにもなるでハッキリと示すことが最良です。


課題は何か
最後に、議論したい検討資料や文書に課題を入れておきましょう。議論が全て尽くされるということは稀で、多くは何度も議論をするわけで。であれば、今ここまで検討したけれど、残課題があるんだよ、と明示することは逆に言えばその残課題は今回の議論のテーマではないと宣言することになりますし。