素直に話を聞く価値

仕事をしていて、やっとここ最近は仕事が少しはましにできるようになったと思えるようになったのですが、何を変えたからそう思うようになれたのかというと、素直に周りの人の話を聞くようにしたことを1番に挙げます。

 

ずいぶん前に、顔見知りの同僚に「武闘派だよね」と言われたことがあって「エェェ」と思ったんですね。そんな喧嘩腰で話していないよって。

 

あるミーティンではたと気づいたのは、喧嘩腰じゃないけれど力技で押し切ろうとしていた自分がいたんです。それに気づいたの。

 

ああこれを言っていたんだな、と。

 

それで、どうして押し切ろうと思っていたんだろうと内省してみたんですね。無理矢理に押し通そうとしたのは、ロジックができていなかった、準備が十分でなかった、などなどこちら側にそこを突かれると痛いから、というウィークポイントがあったんですね。

 

そのウィークポイントを突かれるとあと作業が増えるし、スケジュールが押してしまうから。確かに議案についてある程度は見切れていたから押し通そうとしたということはありますが。

 

あと、厳しいコメントをつける彼彼女らはどうしてそれをしてくれるのか、立場を変えて考えてみたのです。彼彼女らは役割を担っていて、立場上言わなければばならないこともありますが、こちらが失敗しないように知見を伝えていることも中にはあると思うったのです。

 

それで、彼彼女らの言葉を一旦、素直に聞くことにしました。素直に聞く。コメント内容が不明瞭なら具体的に何を指しているのかまで確認しながら聞くようにしました。

 

その上で、こちらの見解を述べることにしました。自分で気づいていないことを指摘してくれた場合は、まず、肯定するようにしました。なるほど、その観点では見ることができていなかった、良いコメントですね。言い方はその都度、その場面で変わりますが。

 

指摘が実はこちらの主張に含まれており、解釈、表現上の違いであれば、やはり肯定した上で、実は同じ意味合いですが表現方法が違いますね、より良い表現はどちらかを決めましょうとするようにしたのです。

 

指摘が明らかに的外れの場合、それは意図を確認した上で反対意見を伝えるようにしました。ただ、リジェクトするわけでもなくて、的外れな指摘に見えて実は大事な観点であることを見落とす危険もあるので、その点が何かは確認しなければなりません。こちらはそれに気づいていませんから。

 

形式的な指摘については、議題について価値は低いですがそれがレギュレーションである場合も素直に話を聞き、指摘を反映することにしています。これは、それをすることで彼彼女らは共犯になるからです。ルールを守っていて、その他の指摘がないのであれば同意をしているわけです。

 

コメントがつくケースは色々ありますが、どのような意見がついたとしても一旦、素直に話を聞くようにしました。

 

ただ、なんでも言われたまま話を聞くわけではありません。意図を確認し、有用かどうかを判断するのはこちらの責任です。言われたことをそのまま受け入れるのは思考を放棄しているのと同じですから。

 

素直に話を聞くことは実はもう一つの意味合いがあります。仕事が切羽詰まっている時には、思考漏れや前提を誤ることが少なくありません。そうしたことを前述したように素直に話を聞くことで予防するのはもちろんのこと、最短で仕事を完了させることができるのです。

 

一つは、自分自身の無駄な怒りを起こさないようにできるからです。内心、悶々としていいては仕事に集中できませんし、見落としているところで集中していないためにさらにミスを起こしかねません。冷静に、全体を見渡す余裕がなければミスを自分で引き起こします。

 

もう一つ。怒らないようにすると、表情に余裕ができます。「あ、その観点ではみていませんでした、いいコメントですね。いただきます(ニッコリ)」と後味よく終わらせられます。

 

素直に話を聞くとは、意見を聞き、自分の考えと違いを知る。どちらが良い策かを議題の目的ベースで判断する、と言う意味なのです。