エンジニアに今求められるスキルは「仕事の作り方」

知らないことというより、今から使えるだろうと思うことや解決したいことのためになるだろうと思うことの多分、参考になりそうな話を聞くことは時間を割いても行きたいし、実際、万難を排しても行きたい(大げさ過ぎ)と思いっていますし、実際に行きます。

勉強になるのは実戦投入できるなら

最近は場を組織の外で作れるようになったのでそういった機会に関心があるテーマを聴かせていただく(ほんと、いただくという意味そのもので)ことは勉強になるとしか言いようがないのです。勉強になりますって最近は社交辞令とか相手からの返答を逸らす(ガルパン劇場版でのエキシビションマッチの西隊長の問いにたするみほのセリフ)意味合いで使われることが目につくのでちょっとネガティブだなと思うけれど。

話を聞いただけでは時間というリソースを使っているだけで何も変化をしていないので勉強になっていると言えば知識は増えたかもしれないけれど実戦で効果の有無という学習をしていないので勉強になっていないと思うんですよねぇ。

情報から糸口を見つける

明確ではないけれど解決したいテーマ、関心を内心持っているテーマを考えるヒントを欲しいと思って話を聞くのは、会話のキャッチボールやプラクティスという情報を受け取ったあとに、その情報の中から自分の関心事に関連するかを理解し、理解できた内容からキーワードを探し、関心を持っているテーマの解決の糸口と紐付けられる可能性を持っているからです。

引っかかる違和感の意味合い

本来、自分の時間というリソースを削ってまで人の話を聞くのは解決したい何かがあるからで、時間を消費するために使うためではないと思うのです。

ただ、こうした明確でないけれど解決したいテーマとか、関心を内心持っているという感覚が引っかかる違和感を感じること自体が人によってセンシングの度合いに差があります。

比較する軸というセンサー

特に、いわゆる専門家、プロフェッショナルな人たちは、このセンシングの度合いが非常に細かく、時間軸の変遷による対象物に対する差異を見分ける観察力が非常に突出しているのです。逆に言えば、関心を持たない人達は鈍感力が発達しているとしか思えないくらいですが…。

でも、本当に鈍感なのかというとそんな人たちも自分が興味を持っていることに対しては、仔細な違いを見分けることも気づきを持つこともできるのですが何せそれが仕事ではないところに人の価値観の違いをまざまざと見せつけられるわけですが。

畑違いでもこなせる理由

関心事に対するセンシングの度合いが敏感な専門家やプロフェッショナルな人達は、専門とする領域で観察力を訓練しているので、無茶振りされるテーマであっても卒なくこなしてしまうのです。これは、自分の持っている観察力を土台に課題を見出すことができるから。

言い換えると、観察力を使い、比較する軸を設定して課題を設定するという仕事の作り方を身につけていると言えるでしょう。

今エンジニアに必要なスキルは、この仕事の作り方なのかもしれません。