KPTでふりかえったつもり病と処方箋
普段から取り入れている改善手法をやっているのに同じことがまた起きた、なんでだろうと相談を受けることがたまにあります。こちらからする話ではないので先方が話の流れで話していたらこれどうしたらいいんですか、と。
改善手法は取り入れて続けていても始めてみたばかりだけれどとどちらのケースもあるので改善手法の慣れの関係はなさそうです。
同じ失敗を繰り返してしまうんですが
例として開発の終わった後のふりかえりでKPT(ケプト)を取り入れていて、重大なトラブルに対する対策は必ずやっているが、やった方がいいよね的ないわゆるmustではないwant系の改善テーマについてはKPTをするとやった気になってそのままになってしまう、と。それをどうしたらいいんですか、と。
ふりかえりをしても重大なトラブル以外は誰も事後の進捗をトレースしないから、結局、誰も気に留めないというか後続の開発に意識が行ってしまってなおざりになってしまっているんだろうなぁと思いつくんですけどそれは経験というか年の功なのですかねぇ。
意識づけだけでは履行されない
ふりかえりに限らず、何かを変えたいのなら変えなければ変わらないのです。
例えば、意識を変えようということでKPTのTryをしたとしたとき、意識を変えて何が変わるのかは誰がどう共通認識を持てたのでしょうか。
多くのケースでは意識をすることで改善を期待をしても結果は改善されません。意識づけの共通理解をしてはいないことは意識する個々のメンバが脳内で勝手に思い浮かべるので達成基準が違うし、各人の意識づけだけが言語化されているのでしなければならないという振る舞いに形式化されていないからです。
行動に組み込む
改善をwant系でも期待するのであれば、それは普段の業務の中の振る舞いに組み込まなければ変化が起きません。
want系をやっているかをトレースする方法もありますが、それではお母さん役を作り、そのお母さん役が「宿題終わったの」と聞いて廻るようなものです。つまり、改善の負担を誰かに押し付けているだけです。
夏休みの終わりも近いですが連日お母さんから宿題が終わったかと聞かれるたびに不機嫌になっていたとしたら、それを成人済みのエンジニアに同じことを繰り返すなんて馬鹿げてします。
まあ、バブみがあるという輩がいたら絞めてあげて。お前の給料から宿題終わったかのトレース分を引き落とすぞって。喜んで差し出す奴もいたら世の中広いなーと思うしかないですが。
変えたいことを可視化する
改善しなければならないのは誰なのか。そうした基本に立ち戻ることをして欲しいのです。つまり、エンジニアが改善することで利益を得るわけですから、受益者負担を促せばいいし、改善によりエンジニアが楽になるために変わって欲しいことを可視化すればいいのです。
じゃあどうすればいいか。当たり前のことで驚きはないのですけれど。見えるようにすればいいのです。改善によりエンジニアが楽になるために変わって欲しいことを。
印刷して貼っておけばいいかって。そうしたポスター的な啓蒙で改善されるならすでに解決していると思うのですけれど。もっと強制しないと変えられませんよ。
作業の振る舞い、仕事の手順に組み込むのでそれをやらないと仕事が進まないようにすればいいことは過去のエントリになんども書いてきたのでアレかと思う方もおられるかもしれませんが悩みを新たに持つ新任のリーダは毎年何人も生まれるので、こうした繰り返しも優しさの一つです。