エンジニアとして仕事は楽しいですか
「エンジニアの仕事は楽しいですか」
そう訊ねられたら楽しいと答えるかな。でも、何が楽しいかと問われると楽しい仕事もあり、忍耐力を鍛えるような仕事もあり、心中はスパッと楽しいとは言えないのですけれど仕事が1つだけということはエンジニアにはないので、全体からいえば、概ね良好なのではないかと思うのです。
とは言っても、どのような仕事だとしても共通的なことがあると言えばあるような。
新しいアイデアを探る
過去に担当した経緯からではあると思うけれど、いや、多分に他のメンバのスキルから消去法というか優先順位できにで同じ結果になると思うけれど、割と難しめのタスクが回ってきたのです。
いよいよ手をつける時期になった(自分で開始時期を宣言していた)ので、状況を整理してみたら獏とした印象しか残らないほど、現時点で掴みどころがないのである程度ロジックを作ろうとすると、多少の権威づけをしておきながら、ゴール設定をしつつ合意形成に繋げるというエンドユーザ側での構想立案という企画なお仕事になるのだな、とぼんやりとしたアウトラインを脳内に描くまでがやっとのところで。
そう言えば、こうした考えるお仕事はランチの後でさえ睡魔が襲ってこないのでもしかすると自分にとって楽しい仕事のなのかもしれません。
アイデアの主導権を取られないために
こうした獏としたお仕事の場合は、誰一人としてゴール設定を持っていないところを認識しておかないと痛い目にあうのは確定していることです。
どんな痛い目にあうかというと、裁量を持つステークホルダと思って頼ってしまうと、そのステークホルダ自身が答えを持っていないとき、散々振り回されるだけ振り回されて最後にちゃぶ台を引っ繰り返されるパターンに確実にハマるということだけが確約されているから。
そうした状況、つまり誰一人として答えを持っていない、偶像が見えていない場合は、偶像のアウトラインを権威者を使ってこれが見えるでしょうと言わなければならないのです。信じたものだけが形になるので。
普段の仕事でもそうですが、意思決定の主導権は最後まで手綱を手放してはいけないのです。それがお膳立てをするだけだとしても、筋書きをする主導権を握っていれば、思い描くようにことを運べのですから。
アイデアは良くあるために存在する
ここでいう権威者とは、内部の最終権限を持った人でなく、外部のデファクトとなるガイドラインや法律に類似する経典に当たるもの、若しくは、枢機卿の教えのような諮問委員会での決定事項などです。
こうした獏としたところからアイデアを出す仕事とそれに影響を受ける過去のシリーズとしての現行業務のしがらみを考えつつ、それらの中から都合の良いものをだけを選び料理することを考えなければならないのですが。
何れにしてもアイデアは今を良くするために変えるものであり、今はそのアイデアを適用する場所にはないものです。
アイデアは無からは作れない
ただ、こうしたことを全て自分一人では知識も経験も見識もないので、友人関係者から業界動向や他社の動向や専門家としての意見を伺い、自分なりに消化してろくろを回し軸を作ることをしなければ自分が先頭に立って仕切れないのです。仕切れないということは状況的に無知な裁量を持つステークホルダの思いつきで揉まれてしまうため消滅感を覚えてしまうのでそうした事態にならないように事前学習はとても大事でためになるので欠かせません。
こうしたアイデアを作り、ことの運びを作り上げるところがとても楽しいのです。