続けることで普遍に至るか多様な経験から普遍に至るか

エンジニア業も年数だけを数えればそこそこやっているのだけれど、中堅エンジニアに至るまでに事象から事象の本質を捉える技術が必要になる仕事が多くなってくると思っています。

事象の本質とは見えているものを含めたその裏側や中身を捉え、起きている事象を捉え直すとた方がイメージしやすくて良いかもしれません。

この本質として捉える対象は普遍であり、辞書を引けば2(イ)に当たります。

ふ‐へん【普遍】の意味
1 全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること
「人類普遍の原理」⇔特殊。
2 哲学の用語。
㋐宇宙や世界の全体に関していえること。
㋑特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質。 

 

dictionary.goo.ne.jp

 

この普遍に至るには2つの道があるのですがどちらで習得するかは全くもって仕事の機会に依存するのでなんとも言えませんが多くは片方に寄っているケースが多良いのがエンジニアが普遍を身につけるパターンだろうと思っています。

専門を続けることで普遍に至る

エンジニアに多いと言うか日本に多いかもしれませんね。続けることに割と美学を持っているじゃないですか。なんでも道にしてしまうので。少しは減って来たかもしれませんが年功序列なんてサラリーマン道そのものですし。

話を戻してエンジニアも続けることで専門を身につけやすい職業だと思います。そして専門を続けるからこそ経験則で得る知識が個人に属人化することで

「俺はこうして覚えた」

的な育成を対象者に丸投げするケースが多いかと。全くもって再現性がないのでどこにエンジニアリングの要素があるのかと思いますが。

それはさておき、専門を身につけることで普遍を掴む技術を身につけるということは現場を歩いていれば割と見られるのですが、じゃあそれは事象の範囲を広げたら同じようにできるかと言えばそうならないところが面白いところです。

何を言っているかというと、隣の技術エリアに入った途端持っている専門とは違いますから普遍を掴むことができなくなるんですよね。不思議ですが。

多様な経験から普遍に至る

 一方、反対に位置するのが多様な経験から普遍を捉える技術を身につけるというケースもあります。どちらかと言えば専門を突き詰めるよりは技術領域は広く間口を広げ、物事の本質、性質の中から共通項を取り出すことが出来る技術を身につけているとでもいいましょうか。

一言で言えばゼネラリストなのですけれど。

そこそこの経歴を振り返れば、製造業、金融業とセクター的に歩かされたし、アプリからインフラの経験をさせてもらったのは、普遍の観点で見返せば専門の突出がない分、普遍を身につけられる環境にあったのかもしれません。

また、PMBOKのようなフレームワークはその出自が普遍の代表のようなものですからPMBOKを学びイズムを理解できるということは多様な経験から普遍に至る典型だったのかもしれません。

個人的な考えとしては、専門から普遍に至ることはそれに至る(と思うかどうかは別として)ためには経験する事象が類似ばかりで共通項である性質に気づく訓練の機会が少ないと思うのです。

つまり、普遍に至ること自体に無理ゲーさの難易度がある、と。

その観点から思うのは属する組織の中でも業種を変えるとか普遍性のある思考的なフレームワークを嗜むことを自ら進んでいかないとどう足掻いたって向こうからやってこないのですけど。

そうすると専門から普遍に至るエンジニアは極端に減るんですよね。勝手に落ちていくというか。だってそればっかりやっていて、身につけることは類似案件ばかりで狭い範囲で気づく機会があるのかと。

そうした結果が技術を身につけること自体が道になり、エンジニアの普遍から遠ざけ、見える事象に対する対処しか技術(それを技術というのかという考え方は別にあると思うけど)としては持ち得ない、と思うのです。

 

全員が全員では切り替えてとは言えないのは業務ドメイン的な知識も必要でしょうが、普遍を捉える技術はやはり多様性の経験から組み合わせる選択肢を増やさないと発想自体が生まれないので多様性をいかに身の回りに置くかが普遍の技術を身につけるために大事なんだと思うんです。