あなたのリーダも、ぼっちでストレスを抱えて泣いている

いくつか主宰しているコミュニティの会合前から数人の方が仕事関連でかなりのストレスを受けていて、メッセージグループで内心を露呈していたことがあった。

どの方も重要なプロジェクトのマネージャを担われていて、規模感的に言えば相応のプレッシャーなんだろうなと思っていた。

会合の議題が片付いたあと軽く飲む流れになって、飲み始めたら、まー出てくる出てくる。聞き役に回ってみると、どうやら組織内でマネジメントと摩擦があったようだ。もうひと方は、担当する業務での考え方の違いのようだった。

エンジニアの仕事は、作業的なところもまだ多く残っているが発注者側がはっきりと何をしたいかをつかめていない状態から概念化し、言語化し、コードに変換するという機械的な作業に置き換えられない手続きが多いのはご存知のとおりだ。

そうした手続きの中での伝える側と受け取り返す側の理解の違いを埋めるために相応の時間を使っているのが現場で日々行われていることだ。

プロジェクトでもそうだが、ビジネスを回すマネジメントとエンジニアの間でもビジネスについては同じように相互の理解の差があり、それを埋めるためにリソースを費やしているのだ。

カンファレンスのスライドなどで、エンジニアの心理的安全に言及される機会が増えたが、エンジニアの心理的安全は何もチームの中のエンジニアばかりではなく、チームの対外的な役割を担うプロジェクトマネージャやスクラムマスタだって同じように心理的安全を確保しなければストレスで擂り潰されてしまいかねない。

PMやSMはチームを守るという気持ちがある分、そうした問題には少しばかり耐性を持っていることが多いが、その強さが強いストレスを抱えたままにしてしまい、閾値を超えたときの崩壊は早いのだ。

できればストレスの原因を吐き出すことが仕事のコミュニケーションの中でできれば良いのだろうが、そうした当てを持っていないリーダもままいるのは、エンジニアより一つ飛び抜けたロールであるという背景も少なからずある。

リーダは割とぼっちなのだ。

そして辛いと言えず、心の中で泣いているのだ。

ぼっちのリーダは自分で全部ストレスを抱え続ける他ないのだろうか。

ぼっちのリーダこそ、外部のコミュニティで心のNDAを結べる仲間とざっくばらんに腹に溜まっていることを露呈したり、仕事とは違う別の活動を介した居場所を確保することで心理的安全を確保するのも一つの救済手段なのかもしれない。

もともと仕事ができる人たちだから、組織の利害もしがらみもない場で、自主的に手を挙げたくなる活動を用意し、そうしたところで業務とは違ったテーマで集中することはおかしな話だが、気分転換になるのだ。

会合の後、ソーシャルで会合で会う人たちとの活動がストレスを緩和になっていると書き込みがあったとき、続けなければな、と。