あなたなら誰をトラブルプロジェクトへ推薦するか

仕事やソーシャルネットワークで人を紹介出来る、推薦されるという話題がほぼ同じタイミングで起きたのは自分としては面白いものだと思う。

紹介されることも推薦されることもどちらも意味合いでは同じことで、紹介しようとする対象の人を紹介される側から見ているか、紹介しようとしている側から見ているかの立場の違いでしかない。

知り合いのある方は自分から見ればとても交友関係が広く、エンジニアとして仕事も出来る方だと認識している。実際に同じ仕事をしたわけではないが、考え方やときどき公開するスライドは平易でシンプルな表現なのに要所を適切に解説しているのだ。

先だって、その方を含めて会合があったときにポツポツと近況を話し始めて、ある案件に知り合い中でその案件に合う凄腕のエンジニアを数人紹介した、と言っていた。一層のこと、手数料貰えばいいのになんて言ったら、あなたも紹介したよ、と。さらにその案件は割と界隈では有名で、トラブっているのであなた(自分のこと)が適任でしょう、と。

上述したとおり、この知り合いの方から見て自分の仕事ぶりはわからないはずだが、これまでの付き合いの中でのスライドやポートフォリオ的な作品からプロジェクトへの思想やチームビルディング、プロジェクトの立て直しなどのアプローチを聞いて判断しているのだろう。

本人にどういった観点で紹介したのかは聞いていないので推測の域を出るものではないが、自分がその方なら一緒に仕事をしてもいいと思うくらいだから、あるところでは同じ価値観を持っていると判断したのかと思う。

話は変わって。

あるときに推薦状をいただく必要となって誰に頼もうかと思案したことがあった。勿論、碌に知らない方へ推薦状をお願いする訳にはいかない。第一、推薦をする方だってそんなことは出来やしない。

こうしたことは割と悩むものだ。何を悩むかと言えば、推薦状をお願いする人選とそれを断られたら、というもの。

特に後者については断られたらと思い始めるとどうも不安になって仕方がない。そんなことを不安に思っても誰かに推薦状を書いてもらわないといけないことは変わらないし、さっさとお願いをしてしまうことでそのあとの対応をあらかじめ考えていた方が良いのはわかっているのことなのだが。

そのときは好意的に推薦状を頂けることになったので次善の策を考える必要は無くなったのだが、こうしたことも

 

「最悪の事態を想定しつつ、楽観的に構える」

 

という西住みほの言葉は理に叶っているのだ。

まあ、彼女のセリフの10年も前からプロマネをしているときは同じ心境でプロジェクトを見ていたし、多分に性格に依存しているところもあるので変わるものでもなさそうだが。

しかしあれだ、トラブルプロジェクトよりは綺麗なプロジェクトを綺麗なまま(水面下では足を漕ぐにせよ)したいものだ。