処理能力が高くても考えないエンジニアは優秀とは思わない
あるメンバがいて、処理能力は高いのだがもう少し考えながら仕事をした方が良いんじゃないか、と。そう思ったし、何度か伝えたのだがどうもそのメンバの仕方として染み付いているようでこれはこれで困ったものだ、と。
実際は、自分は困らないが、件のメンバは困るのだ。処理能力が高いとは仕事に落としこんでさえいれば、である。その仕事に落とし込むところができないと処理能力を活かすことはできない。
故に、そのメンバは仕事に落とし込むところを開拓しなければならないのに、処理する仕事と同じように仕事を落とし込む作業を処理しようとしてしまう。これはアウトプットの形のないところから進め方を含め作り上げていくような場合に要件を持っている人と衝突してしまう。
なぜなら、処理能力を発揮するパターンと同じように仕様を決めることを持ち出すからだ。ところが今やりたいのは処理能力を活かすことではない。その前段階である。
要件を実現するための仕組みを作るところである。その仕組みを作る、というためには目的の理解、アウトプットの詳細、進め方(段取り)を当事者同士で合意形成しなければならない。
それには考える対象のユニバースを決め、界面を線引きし、理解を同じものにしながら作り上げるシナリオを構成する必要がある。
そこには処理能力はそれほど必要ない。必要なのは仕事に落としたときに様々なケースに耐えられる構造を考える時間を確保することである。
ここを確保せず、想定が浅く、狭い場合には、浅はかな考え、やっつけでやった仕事にしか見えないのだ。
勘違いしやすいことだが、長い時間をかければいいというものではない。何をどこまで考えたか、それをする時間を取ったか、である。