貧困プロジェクト、チームは赤字ラインから浮上せず
プロジェクトは、プロジェクトの目的を達成するために必要なリソースの何か1つが揃わなければ、足らないリソースを補填する別のリソースでカバーできなければ必ず失敗する。人的リソースが不足していれば、不足する人的リソース分の時間を多く消費する。人的リソースの面積(人員*期間)は理論的には変わらないが完成時期が延伸されるのでビジネス的には機会を逸してしまう。
プロジェクトチームの中を見れは、チームの中の必要なリソースが欠員しているのだから、チームとしてのスキルセットも応じて欠落している。目標達成のキーとなるスキルとスキルレベルが確保できていれば良いが、キーとなるスキルを持つリソースがチームとして持ち合わせていなければ、プロジェクトの目的の達成に対するマイナスのリスクが高まる。言い換えれば、キースキルの部分を持ち合わせていないチームが、持っているスキルだけで充足しようとするので要件を実現できないリスクが高まる。
同じ様にリソースとしての時間を確保できないプロジェクトは、無理なスケジュールを納期から作らなければならないため、実現可能性が低い日程を自ら組んでリスクを高めてしまう。
人的リソースにしろ、時間にしろ、コストにしろ、プロジェクトの目的を達成するためのリソースが欠損すれば、リスクは高まるし、全てがプロジェクトを遂行するエンジニアにしわ寄せすることになる。
エンジニアに限らず多くの人は自分に甘いので、余裕があり過ぎる計画は計画いっぱいまで使ってしまうシンドロームにたやすく陥ってしまうが、リソースが欠けているプロジェクトでは余裕自体が存在しない。
チームに余裕があり、リソースが欠けているという事実の認識をできるならば、不足しているリソースをカバーする代替手段や生産方式の置き換えなどを考えたり、試行することができる。ただ、それをするための予算的裏付けが必要となる。
これは、予算があれば大体のリソースの欠損についての対策ができることを物語っている。つまり、プロジェクトが貧困、貧乏では上手くいかないということだ。
予算さえ確保できていれば、プロジェクトの時間がカットされたとしても高いギャラで優秀なエンジニアを調達することでカットされた部分のある程度の回復は可能であるし、新しいか早い生産手段として自動化の措置を予算として措置すればそっちの面からも対応する可能性を高められる。
何より、チームのメンバはお金で対処するという選択肢を持つと、心理的な余裕が生まれ、想像力を働かせて生産手段や手法で対処を考えられる様になる。
プロジェクトでは不可欠な予算を確保できない貧困プロジェクトは、最初から成功しないし、赤字ラインの水面下から浮上することはありえない。