管理ゼロと過保護

プロジェクトマネジメントにおいても、ビジネスのマネジメントにおいても、ぞれぞれにプロジェクトマネージャやマネージャを置く。

それはなぜか。

リスクマネジメントを行うためである。と言うか、そのためだけでしかない。

プロジェクトマネジメントでスコープマネジメント、リソースマネジメント、統合マネジメント(謂わゆる進捗管理はこの中でやる)は、プロジェクトを推進すると小さな実績を積み上げていくと次第に計画と乖離し始める要素が混ざり、見通しは想定した完了と差異を招き始める。

そうした小さな実績の中に混入する要素の中でプロジェクトの将来に影響を与えるものの有無をモニタリングすることこそリスクマネジメントである(もちろん、プロジェクトのリスクとは何かを計画時に識別し、エクスボージャを測り対処するか対処しないかを判別しておくのは当たり前である)。

プロジェクトにおいてリスクの発生の見込みがないなら、リスクマネジメントをする必要性もない。誰が考えても計画どおりにことを運べると言うことを約束されているか、起きた事象は全て想定内か、何が起きても受容できると言うことである。

つまり、何が起きても誰も文句を言わないし、言わせないと言うことである。

果たして、今時の不確実性の時代にそんなことがあるのだろうか。

あるのであれば、それは自分が知らないだけのことであって、それはそれで良いことだと思っている。

もう一度確認したいのだが、プロジェクトにおいてリスクは発生しないのか。

プロジェクトにおいて管理をしないと言うことは、そのプロジェクト若しくは組織だけにはリスクが発生しないと言うことになる。計画したとおりにことは進むか、起きたことを受容する。

ここで何らかの前提があるのではないかと想定する。例えば、『アジャイルマニフェストの背後にある原則』の

最良のアーキテクチャ・要求・設計は、
自己組織的なチームから生み出されます。

引用 アジャイル宣言の背後にある原則

 を実現するようにエンジニアに強く求める、とする。

エンジニアがチームに属するためには、この項目を実現しなければならないと要求するとエンジニアは最良のアーキテクチャ・要求・設計を行い続けるために、常にその状態かをモニタリングし、その項目と実績を照らし合わせ、差異があれば項目を満たすためのアクションを取らなければならない。

これではリスクマネジメントをエンジニアに付け回しているだけである。管理をしないのではなく、エンジニアにその役割を付け回しているに過ぎない。

誤解をしないでいただきたいのは、組織としてマネージャに管理をさせない若しくはマネージャを置かないとするのは組織の管理の文化としての具現化であり、正しいとか間違っているとかではない。

そういった管理の思想、原理・原則を実現したいと言う意思の現れが組織と役割として表現されているのである。

ここまで書いて頭を過ぎった。管理をしないという思想は、エンジニアを1人の大人として扱うと言うことではないか、と言うことである。今までが過保護すぎたのではないか。成人した大人に対してリスクと言う物言いで外野からあれこれと批判や介入をされたくないので過保護な親が子供に口うるさく言っているのと同じではないか。

マネージャも本心ではリスクマネジメントなどの管理はしたくないが、不出来なエンジニアを簡単にクビにすることもできないし、マネージャとしての『管理能力』を問われることとキャリアに傷がつくから結果的に過保護をしているのではないか。

さて、エンジニアとしては、過保護に介入されないが後始末まで全部自分でやれ、失敗したら後がないぞと言われるのと、過保護に介護されるのとどちらがいいのだろうか。

 

 

 

第1話

第1話

 
リスクマネジメントのプロセスと実務 増補版