質問でやらかしたトラウマがあります

質問でやらかしたのはゼミの合宿でのことだから、かれこれ30年以上前のことになる。なんとなく覚えているのは、ゼミでビデオの操作をしながら、質疑応答で『何か言わなくちゃ』と思って思いつくまま単語を並べたら質疑のスレッドとはまるで的外れな質問になってしまい、ゼミ仲間から総ツッコミされたのだ。

社会人になって、何度もおかしな(的外れだったり、意図が不明な)質問を繰り返ししているはずなのだが、一番印象に残っているという点での、やらかした、記憶として思い出せる質問は、ゼミでの質問である。

過去のエントリを『質問』で検索するとキーワードに入っているものが6ページくらいあるのだが、視野を広げる質問力を鍛えよう - 室長のひとりごちが質問をテーマにしているのでこれは1つの質問の仕方についての参考になるだろう。2016年だからもう3年前のエントリになる。

ところで、場を持つ側に立つと、講演でもワークショップでも良いのだが、何かしら理解したものをその時間の代わりのお土産としてお持ち帰りいただけることを望んでいる。であるから、わからないことに気づいたら、その場でお尋ねしていただいた方がこちらとしても望ましい。

質問がないことは、お話ししたことを丸々ご理解いただいたと受け止めることもできるが、実態は、あまり興味を感じられなかったか、質問するに値しなかったからなのだろうと少しストイックに受け止めることにしている。質問で批判的な意見があるときは、その質問者が特殊だとは決めつけず、ではその特殊な質問はどうしたらそう解釈されたのか、その理由に到達できたときは、その理由、本因に対処するかどうかを考えるようにしている。言われたからといちいち対応することは、他の理解された聴講者に対して新たに疑問を投げかけてしまうかもしれないし、元々のコンテンツの聴講者の対象セグメントとしてどうなのか、というプロダクトの考え方に影響しかねないため、基本的には、プロダクトとしてあるべき姿、目指す姿かどうかを判断基準として対処を決める。

そういった背景もありつつも、質問を受け止めるときに気をつけたいのは、質問を質問者と回答者だけのコミュニケーションにしない、ということである。他の聴講者や講座参加者を置いてきぼりにしないという姿勢は重要だ。質問により、わかったつもりだったことについて、より良い理解を産むことだってある。

そうすると質問を他の聴講者が理解できるようにアシストをしなければならない。こんな風にすると、質問自体も整理、洗練されるので周囲の聴講者の助けにもなる。

  • ワークショップでは付箋紙を配っておき、気づきを書いてもらう。気づきには質問も可であるとしておくことで、ワークショップの最中に質問が可視化されていく。また、付箋という質問を書ける文字数の枠を設けられるので、質問が端的になる。さらに、思いを言語化する変換作業が入ることから質問自体を質問者が無意識に洗練する。これにより、質問の意図が明確になる。さらに、その質問を見た同じワークショップをしている人から新たな質問や疑問、その質問に対する同意などが副次的に生まれる。こうした関係は間接的にワークショップの満足度に良い影響を与える。
  • 聴講のスタイルでは、google docsのフォームを用意しておき、QRコードを開場の際に周知しておく。質疑のタイミングでスプレッドシートで閲覧すれば、言語化された質問として受け付けられる。聴講型での質疑は、質問者を仕込んでおかない限り何が飛び出てくるかギャンブルになりかねない。その点、フォームからの質問はワークショップでの効果と同じように、整理、洗練された質問に誘導できる。また、質問が出ないときのサクラとしても使おうと思えば使える。

付箋紙を使うやり方は、そのあとワークショップで使った付箋とまとめて写真を撮ってもらい、それをお土産にしてもらえるのでオススメしたい。また、主催者側としてもワークショップのフィードバックに使えるので写真に撮っておくことを強く推奨する。写真を撮るときは、ワークショップの風景を撮っておきたい。その際は、ソーシャルで共有されることをやめて欲しいかを確認することは今時のマナーであるし、OKであれば逆にポストして思い出にしてもらった方がいい。

 

 

 

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