嫌われた『なぜなぜ5回』

もう、時効なくらい前の話だが、部下になったプロジェクトマネージャやそのチームのメンバとランチを摂っているときに、プロマネがこんな話を切り出してきた。

以前の配属先で何某かの仕事をするときに、どうしてそうやっているかを知りたくて、そのとき知っていた『なぜなぜ5回』を使って続けざまに質問したのだという。

『こうやってくれ』
『なぜそうやるんですか』
『こうやることにしている』
『なぜそうなったんですか』
『理由は知らない』
『なぜ知らないでやれるんですか』
『いいから言われたままにやればいいんだよ(怒』

大分前のことなので正確性はゼロに近いかもしれないが、いずれにしろ、自分のターンが乗ってくると早口になるタイプなので、同じような口調でやったのだろう。

プロマネ曰く、『どうしてそうやるかを答えられないなんて』的な物言いをしていた印象が残っている。

自分は、そうした物言い自体、なんというか、人に尋ねるのだから相手が話したくなるように聞けばいいのに、と思ってしまう。

本来、なぜを5回も繰り返し聞くのは、起きた出来事から真因を探り、起きてしまった振る舞いの土壌になっているルールや暗黙の文化を炙りだすために使う道具のはずである。

そう使わなければ、なぜと聞いても意味がないし、聞かれる方は次々と責められるように感じても仕方がない。心理的に圧迫されるのだから、ストレスに弱い人は年齢に関係なく怒るか、自分に非がなくとも自分を責めてしまうかもしれない。

そのプロマネは『なぜ5回』を使って、相手の反応を楽しんでいただけだ。これを仕事場でされては堪らない。

別に『なぜ』を使わなくても、知りたいことは聞けるし、知っているかも知ることができる。

『こうやってくれ』
『そうなった経緯がわかる資料残ってますか』
『こうやることにしている』
『(経緯もどうしてそうやっているかも知らないんだな)引き継ぎされたんですか。じゃあ経緯はわからないですよね。引き継いだ方はもういないんですか』
『いない』
『(これはいくら根掘り葉掘り聞いても何も出てこないな)誰か知っていそうな人ご存知ありませんか』
『Aさんなら知っているかもしれないなぁ』

 このコミュニケーションの目的は、経緯を知って、付加情報を手に入れておけば、自分でその資料の範囲で対処できるからとか、業務の知見を増やしたいとか、そういった目的を持っているはずである。

素朴に、どうしてそのような業務(手続きや手順)になっているか、自分のこれまでの実践知とは違い違和感を覚えたからかもしれない。ここはこうやった方がいい、的なものだ。ただ、背景がわかれば理解できることもあるし、実践知から工夫した方が良い点も薄々気づいているのかもしれない。

どんな手法でも同じなのだが、その手法の狙いを理解できるとアプローチは自分のいる環境に合わせて使うことができる。自分の思い込みで道具を使うと怪我をする。