気づきの劣化
エンジニア界隈では『気づき』という言葉を割と使うのではないかと思う。経験から気づきを得るとか、会話の中で気づくようなケースで使っているのではないだろうか。はてブで『気づき』『エンジニア』で1000以上で検索すると91件も出てくる。
どうやらこの『気づき』は加齢とともに劣化、つまり、衰えていくものらしい。気づきの話をしてたとき、気づく能力が衰えていくことに気づかないのだと教えてもらった。これは、当の本人は気づく能力を持っていると思っていて、実際に持っていたとしても、加齢を重ねると本人の自覚なのないまま、否応無しに減衰していくということである。
電車に乗っているとき、割り込むのは男性の年配者に遭遇することが多い。ショッピングセンターで大きな声で怒鳴り散らしている男性の年配者を見かけることが多い。気づきと直接相関しないかもしれないが、気づく、自分の身を置く環境を認知することに気づくことができていれば、そうした行為は必要ないだろうと思う。
今はまだ、そう気づくことができる。
仕事場で、それもあたらしいプロジェクトに参加すると、いやが応にも状況を把握するシチュエーションから始めることに慣らされている。結果的に、情報を整理し、理解しなければ仕事が進まない。
課外活動でも、定期的なアウトプットをしているので、そのアウトプットのためにインプットをしなければ空っぽになってしまうので、テーマを見つけ、半ば強制的にインプットするアウトプット駆動で活動をしている。不案内な分野や知識エリアの知識を取り込み、自分なりに解釈して形作る。
こうしたアウトプットも気づかないうちに、気づきから得られる感度が落ち、似たものになってしまうのかもしれない。
エンジニアの観点で言えば、いつも同じアーキテクチャ、パターンで仕事をしていると気づきの能力が劣化しているのかもしれない。その点で、ここ数年の成果を比べてみるのは良いのかもしれない。

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