実態のないペルソナには気を配るのにチームのメンバには分かってもらえると思い込むのはなぜか

立場的にメンバ間で困ったことが起きると相談を受ける。だいたい、誰か1人が問題を起こしたような形になり、周囲の関わるメンバや関係者から半ばクレームぽい物言いの聞き役になったり、ストレートに苦情ぽいことを聞かされる。

当事者のメンバは、相談にきたり、気がつかないままだったり、抱えていたりする。

様々なケースに出会ってきたが、共通するのは当事者のメンバのパフォーマンスである。周囲の期待に応えられない。それだけであればまだマシなケースもある。無垢な罪意識のない行為が周囲に顰蹙を買う。

時効だからいいだろう。以前、こんなケースがあった。当事者は主体的に自分で判断して、良かれと思ってステークホルダと連絡を取り、打ち合わせをしようとしていた。もちろん、以前からそのステークホルダとミーティングをしていたから、当人にとっては何もきにすることもなかった。

その以前とは体制が変わっていて、全体のプロジェクトリーダが置かれ、全体の筋書きを書き、進めようとしていた。対外的なコミュニケーションラインを一本化、つまりフォーカルポイントを集約しようとしたわけだ。

全体を把握する、一枚岩になる。そう言う意味合いで妥当な策である。

そこを以前からいたメンバは自律的に、でも、新任のプロジェクトリーダから見れば、自分から伝えたことを守らない、勝手に対外的なコミュニケーションを取ろうとするメンバがいるように見えるわけだ。

エンジニアは不思議な生き物である。ものづくりでは実態のないペルソナを作り、UIやUXで最大限の体験価値を与えようとする。事細かく想定する人物の属性を盛り込み、ストーリを考える。

でも、同じところで働いているとしても、目の前にいるメンバには、自分が関わろうとするとき、最大限の体験価値を与えようなんて一切微塵のかけらもないようにしか思えない。もちろん、関わるメンバがどんな人物で、どのような考え、価値観を持っているなんて考えようなんて思っていないようだ。

自分としては、期待マネジメントの延長戦のように見えるが、実はもっと手近な、それでいてタチの悪いことなのではないかと、頭をよぎったのである。

  • いいことだと思ってやっているんだから。
  • 自分から自主的にやっているのだから。
  • 全体を成功させるのだから。
  • 役割は説明したのだから。

全部、甘え。

コミュニケーションコストを中途半端にしか負担せず、分かってくれるだろうと一方的に思い込む。

全部、甘えでしかない。

そう思い至ったとき、全てがわかった気がした(気がしただけ)。手戻りがないようにToDoになるように説明したり、段取りを具体的に説明したり、タスクを小さくしたり、マメに声をかけているのは、全て自分を使って働きかける。

自分のタスクを終わらせるために、全体を進捗させるために。そう言う意図があるからである。だから、コストを払う。

逆に言えば、コストを支払わなければ上手くいくイメージを持てない。両手放しで上手く行くなんて想像もつかない。

当事者も、周囲のメンバも、どちらも、しなければならないことは、しなければならない。