脳の体力
40代の頃、50歳を超えたくらいの直属の役員が身体が持たないと飲むたびにこぼしていた。帰る方向が同じだったからもあったのと、自分がわりと話を聞き出す様にしていたのでガードが下がっていたのかもしれない。身体が持たないから週末は寝る時間に充てていると言いつつもスポーツクラブの話もしていたので適度な運動はしていたのだろう。まだ40代だったから、その身体が持たないというニュアンスが分からなかった。ああ、そうなんだくらいで聞き流していた。
それが、である。50代になり、フィジカル、体力より先に来たのは脳の体力の衰えの方を感じるようになった。去年の後半からガクッときた感じだ。
身体は相応だと思うが、脳の体力が落ちてやりたいことの中でも作業に近いアクティビティに手が出ない。ようやく手を動かしたとしても一向に進捗しない。いくらでもできる別のアクティビティはあるのに、パフォーマンスを発揮できないばかりか、マインドを縛ってしまうアクティビティが出てきた。
これは脳の体力が落ちで、たくさんあるアクティビティの中でも自分に達成感の報酬をリアルタイムに感じられないアクティビティまで脳の体力が残っていないのではないかと疑う様になった。
たった1年前にはなかった感覚だ。1年前ならガッツリと集中してやれた。では、本業の方はというとそこそこやれているし、やりすぎ感があるくらいなのだ。もしかすると、本業の方で脳の体力を消耗しすぎているのか…。
それとも、フィジカルな体力が加齢と共に段階をズドンと落ちていくように、脳の体力も落ちているのが当たり前なことで、それを知らないだけなのだとしたらこわいことだ。
まだ自分は新しい技術を関心のある方面で試したり、アウトプットしてプロダクトにしているのでマシなのかもしれないが、脳の体力の減衰に気づかず新しいことをインプットもしていないとしたら、了見はシュリンクする一方である。
エンジニアの技術のバリューを維持するだけでも大変なことは、エンジニアであれば誰でも知っていることだ。その大変さは年齢の階段を登れば登るほどフィジカルばかりか脳の体力も自分のハンディキャップになっているたのかもしれない。
こうしたことは、それの当事者になってから体験して事象として初めて認識するものであるが、何も準備していなければ手遅れでしかない。
脳の体力を認識して、理解して、受け入れる。その上で延命と言うよりは、経験からのプラクティスでいかに回避するパスを探索したい。