エンジニアとしての自己肯定感との付き合い方

自己肯定感のエントリがあり興味を持って読んだが、自己肯定は行動と役割で自信を持てるから自己肯定感は低くてもいいという趣旨のものだった。

自己肯定についてイメージでしか知識を持っていないので調べてみると諸説あって、「現在の自分を自分であると認める感覚。」と「自分自身のあり方を肯定する気持ちであり、自分のことを好きである気持ち。」などがある。

 

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自分の自己肯定感は前者までで、後者の定義はない。ないというよりは、知ってはいるが、自己肯定感と呼ばれる自己肯定はそこまで、という意味合いである。

他の人のことはわからないが、前者の「自分を自分であると認める」感覚を持てるようになるまで相当の時間がかかった。

自己肯定感を持てないエンジニアもいくらかは存在するのだと思うが、何かを無理にして自己肯定感を持とうなんてする必要もないと思う。

過去エントリに書いてきたように、経験年数的に中堅エンジニアに差し掛かるまではエンジニアとして力量不足を痛感していた。今となれば知識もろくにないのに、ありのままの自分を受け入れられるわけがない。

他人と比較すれば劣る自分がいて、評価もされなければ、自己肯定をする材料は何一つない。

だから、自己肯定をすることを止めた。それ自体をやめた。

どれだけ自分を認めたくても認めるものがなければ認めようがない。だったら、その行為自体をやめることにした。

結果、ありのままの自分はこんなものだ、と受け入れることにした。その受け入れには、定義の後者の自分を好きだとかそれ以外の嫌いだと言った感情は一切ない。

前者の定義、純粋にそれだけだ。

そう捉えるとこれまである意味、自己を低く評価していた自分から解放された。今の自分は上にも下にもなくて、そこにいるままなのだと。

その感覚には、行動の結果や役割での他者からの期待はない。あくまでも今の自分が自分なのだから、しゃあねぇな、この自分と付き合うか、程度の認識でしかない。

自分を好きで過剰に評価したり、嫌いで自己評価を貶めるようなことはしない。鏡に映った自分が自分なのだ、と。

この自己肯定感(前者の)を持ててから、よかったことは、自分のコンピテンシをニュートラルに評価できるようになったことである。

自分を過剰評価してできもしないやったこともないコンピテンシをやれると思わないし、エビデンスがあり繰り返し同じレベルでパフォーマンスできるものはコンピテンシを持っているを自信を持って言える。

エンジニアにとって必要な自己肯定感は、前者の定義だけでよく、それが持てるだけで、as isを適切に捉えられるから、結果的に成長につながるのである。

ただ、サンプル数は1だが。