“いい人”辞めました


多くの人は、周りとの関係を良好に維持したいから、いい人に、いや、嫌われないように振る舞うだろう。
貴方はどうだろうか。
人差し指を自分の胸に向けて、改めて考えてみよう。


たぶん、貴方と同じようにわたしも嫌われないように“八方美人”になろうと振る舞って“いた”。
振る舞って“いた”。
振る舞っている、ではなくて、“いた”なので過去形だ。


なぜ、“いい人”を辞めたか。

“いい人”で居続けられるほど、器用でないことに気付いた
八方美人の“いい人”でいる整合性が保てなくなった
“いい人”は、疲れた

そう思うようになると、

誰も、わたしに対して“いい人”であることを期待ていないのではないか

と気づかされた。
最初から、そうだったのかもしれない。


周りの人々も、同じように“いい人”であることを自ら課し、関係づくりに影響していたのではないか。
わたしはあの人から、この人にも嫌われない、という思い。
そういう、緩やかな関係を縛りあう。


家族、友人、同僚...。
家族も?と思う人もいるかもしれないが、わたしの場合、それを含め“いい人”であることを辞めた。


守りたいものとそうでないものを分別した。
何があってもそれを変える気はない。
だから、“いい人”を辞めたのだ。
わたし自身が、すべてを背負うことがでないとはっきりとした態度で示さなければならない最後のときと思ったからだ。


“いい人”を辞めたことで、いままでとの関係が微妙にズレて行くことがあるだろう。
違和感を感じるかもしれないし、不満に思うかもしれない。
だが、それは変えられないので、かわってしまったのだと、諦めてほしい。
わたしは“いい人”を辞めたのだから。