積まれ過ぎた仕事の仕方を変えるには


答えはどこにある?
仕事が積まれ過ぎで手がいくつあっても足りないとか、絶賛デスマ中だとか、積まれ過ぎた仕事や自分で積んだ仕事はいつか解消しなければ自分が埋まれて窒息死するだろう。幸いにも“今の”ワタシはそうならないが、そうでない人もいるのでちょっと整理することにしようと思う。


オーソドックスなアプローチ
シチュエーションとしてイメージしやすいのは、自分のリソースより多い仕事の納期が見えてくるような状況だと思う。as isとto beを書き出してみる。

絶望的な現状 自分が抱えている仕事が自分のスループットを大幅に越えていて、残業もタップリやっていてもこなせていない。
望ましい未来 自分が抱える仕事が自分のスループットの±20%以内に収まっている。


仕事は沢山抱えているところに、次から次へと湧いてくる。何とかしたいが何とかすることを考える時間が勿体ないと思ってしまったり、忙殺されてそんなことを“思いもよらない”状態になっている。

トラブルプロジェクトでよくあるのが、レスキューが入ってくるが、トラブルプロジェクトのプロジェクトマネージャは、

「(今、トラブっているプロジェクトを回さなくてはいけないというプレッシャの圧力が変わらないままなんだから、)レスキューの相手なんてできないよ

、という状況がある。
折角、レスキューと言うフレッシュなリソースが投入されたのだから、それを使うのはサッカーでメンバ交替してオフェンスやディフェンス力を補強するのと同じことで、使わなければただの現場の負担にしかならず、使わなければ投入したマネージャから使わないプロジェクトマネージャが「ダメ」だと言われ、やってきたレスキューからは、「オレいらないの?」と不満を言われる踏んだり蹴ったりの状態になる。

無理にでもスケジュールを止めて、2時間でも半日でも、できれば1日止めてメンバを缶詰にして現状把握させ、キーとなる作業のポイントにレスキューを嵌め込み、情報も整理して、何が一番大事なことなのか、実現することの優先順位の一覧を模造紙にでも貼って、

「ここまでは必ず実現するぞ」

、と全員でコミットする線を引く。これをやらないと、レスキューが入ってもただリソースが増えたばかりで爛れたプロジェクトは爛れたまま。


同じように、自分一人が抱えている仕事においても、本当に解決する気があるなら、一度止めて、現状を棚卸しなければ、今抱えている仕事と爛れた関係を続けるしかない。まる。


自分で抱える理由は
たとえ一人で抱えていても、仕事は一人でやるものではないから、周りを見れば、メンバはいるもので。一人で抱えている“つもり”になっているから周りが見えなくなっていることになる。そして、そのような状況では、

「自分しかその仕事はできない」

と心のどこかで思っている。いや、そんなことない、と言うなら、なぜ、メンバと仕事を分担しないのか、自分に人差し指を向けて、聞いてみたらよい。言い訳をするなら、それは、心のどこかでメンバへ仕事を任せられないと思っていることの証左だ。


大体こんな理由
意外とつまらない理由で仕事を抱え込んでいるもので、分担するには、説明しなければならないし、あとの面倒を見なければならないし、という後ろ向きの理由だ。もし、今分担ができなければ、未来永劫分担することがなく、いつまでのその仕事を抱え、新しく自分を成長させる仕事の機会を失うだろう。

メンバに任せると言っても、Cooperationにすればよいのであって、メンバには、

「一緒にやりましょう。」

と言えばいいし、つまらない理由で今まで抱えていたことを担保するやり方を取ればいいのだ。それは、仕事の要求品質、大きな視点での進め方とチェックポイントを先に示し、“実装だけ”の裁量を与える、が、でも、

「少し、助けてください。丸投げはしませんから。一緒にやりましょう。」

と。


時間のリファクタリング
それやった、とか、それダメです、といういなら、自分で何とかするしかなくて、それでも自分のリソースは限りがあるから何らかの判断をしなければならない。

1日が半分になったら、何をするか。


1日が半分の12時間になったら何をして、何を捨てるかを書き出す。いや、捨てるものは書かない方が良い。残すことだけを書く。朝起きてから、寝るまで。寝る時間は体を壊さない時間を確保する。もちろん、食事も3回摂る。歯磨きも、トイレも、通勤時間も。

WBSの一つの作業に5日取ったら、たとえ3日で終わるとしても、5日使うものだ。それが人の習性だ。だから、夏休みの宿題は、29日ごろからあわてるのだ。
ならば、夏休みは半分にしてしまえばいい。同じように、一日を半分にしてしまえば?