経験とノウハウの狭間にあるもの


自分の関心事を自ら学ぶと、自分の中でまだまだだとか、かなりのレベルまで達しただとか自己評価をしたりするものです。それは自分の掛けた労力に対する労いでもあるし、自分を自分で認める行為の現れでもあります。その学び得た関心事に掛けた時間や辛さが大きいほど、その結果をやすやすと渡すなんてとんでもない、と思うのも強ち間違いでもいないでしょう。


実際、ワタシもPMPを合格したときは、組織の中では今で言うアーリーアダプタ的な存在で、取得までの経緯をプレゼンする機会をもらうことになりました。あとからと言ってもずいぶん経ってから知ったことですが、当時、2番目くらいにPMPを取ったようで1番目の人はまだCBT (computer based test)ではなく、ペーパーテストだったと当の本人から聞きました。


プレゼンをする機会をいただいてプレゼンすることになったのですが、所謂、部門の全体会議のような場で、その広さは100名は入るような大きな会議室だったのを思い出します。多分、それが大勢の前で話す初めての機会で、そのあとの“プレゼン大好きっ娘”に目覚める瞬間だった、様な気がします。
#実際、自分の土俵に場の参加者を引き上げ、自分のペースに巻き込めたことの快感を初めて感じたような気がします。


で、そのプレゼンが終わったあと、スライドを分けて欲しいとリクエストを個別に貰ったとき、今思えば馬鹿らしいのですが「なんで?」と内心思ったものです。現実には、気が弱いので、−あーそこ、静かに。嘘だとかつっこなまいで。−PDFで渡したわけですが。


この経験を誰に渡したりするものか
なぜ「なんで?」と思ったのかな。やっぱり、取得までに掛けた対価と苦労が身に染みて感じていたからかな。料簡が狭いとか思うかもしれません。今なら、ワタシ自身もそう思います。でも、まだ、その当時は今のように考えることはできなかったのも事実です。


一つ別なことがあって、確か、PMPをを取ろうと自主的に勉強したことの一つには、当時、PMPが話題になり始めて組織の中でも選抜して研修を受ける試みがあったのですが、それを希望したにもかかわらず選ばれなかった、という事情もあったことがあるかもしれません。
#前後するのですが、PMPの勉強はその選抜研修より半年くらいは前に始めていたので情報の補完的な意味合いが受けたい理由でした。


自主的に獲得して見返してやろう、と。そして、実際、誰よりも早く結果を出して。自分で勝手に苦労したのは勝手にしたことだけれど、選抜したお前らは見る目がなかったな、とも思っていたかもしれません。反骨精神と言えるかもしれませんね。あぁ、若しかしたらそうさせようと手のひらで踊らされたか、試されたのかもしれませんけどね。


若さからの、熟慮の至らなさからの、情報を手広く手に入れようとしなかったから、そう思っていたのでしょう。いまなら、ホイホイと渡すんでしょうけれど。


経験からノウハウになる瞬間
今思えば、PMPの合格の経験なんてワタシにとって何ら価値のないものです。それをワタシが話すことは、飲み屋で上司が昔話を延々とするようなもので、単なるワタシの“昔話”でしかないからです。ワタシにとっては。


そこには、なぜ受けようと思ったかワタシの表面に決して出てくることのない本当の動機は表現されないし、自ら口述することもないからです。同じように、アーリーアダプタだからこそ経験できる試行錯誤も、話し書き記しようがプレゼンの時間と紙面の都合からも到底できることではないからです。


経験は当人にとっては表面的なことでしかなく、本当に価値のあることはその経験をふりかえり、再び思案し、書き出すか振る舞いとして再演することで体感した瞬間に得たものこそ“ノウハウ”なのです。だから、今思えば、経験談なんてホイホイあげてしまった方が却って別の価値が生まれるんだなぁ、と思ったりもします。


ノウハウなら真似ができない
経験談をホイホイあげることで、このような経験談や関心ごとに基づくキーワードに敏感な人達がアーリーアダプタたる先駆者のフォロワーになるのです。そこには、ゆるいコミュニティが発現することになり、成り行きによっては組織の中で大きなムーブメントになる力を秘めています。この秘めた力を別の価値だと思うのです。


ノウハウになるということは、自分で形を作るということです。その形のもとは成功体験かもしれませんし、失敗かもしれない。成功体験なら同じようにやれば、その結果程度は確保できるわけですし、失敗した経験から形を作ることは二度と失敗したくないからこそ、あそこまでやっておかないと後で物凄く苦労してしまうのだからという歯止めの裏返しでもあります。


形を作り上げられるのは、そのもとになる経験から錬成を試行できる当の本人であって、人の経験談からいくら似せて疑似体験できたとしても、錬成するのは疑似体験して形をつくろうとする人なので似て非なる形がその人のオリジナルとして出来上がることになるでしょう。それは、人それぞれの経験を基にする以上、形としても同じものはできるわけではないのだから、情報は幾ら渡してもノウハウを渡すことはできないのだから問題ないのです。


逆に言えば、情報を渡すことでノウハウがわたってしまうのであれば、まだまだ、そのノウハウの錬成が足らない、真の得るものにたどり着いていないと考えることが正しいのだと思います。そう、リファクタリングが足らないのですよ。




  • 道具室(アプリとか)
  • 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)




  • 視聴覚室
  • 調達室

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