qualificationという言葉から学んだこと
Project Management Professionalを受験するときに「そういう考えもあるのか。」と考え方を学んだ話です。
人は自分に対しての評価は甘くなるもので、それが酷い場合にはやった事がなくてもできちゃうだろうって思い込んでしまう。チームメンバを見ているとその傾向にあるエンジニアと極めて控えめなエンジニアに分かれるようで、人物のタレント性と合わせてみているだけならとても興味深いものです。
自分にそのqualificationがあるのか
まぁ、情報処理でも受験する目安があったような気がしますが、−ここ何年も受験していないのでわからないけど−、何につけても受験するときのqualificationを要求されることが多いです。まぁ、机上だけのテストだから、試験勉強が得意ならそれで合格されちゃうし、実務経験がないのに資格を持って実務をされて失敗の山を築かれてもその資格の信憑性がなくなるからそれを防止するためのハードルなんでしょうけれど。
PMPを受けたときはまだ考え方がお子様だったので、とてもまじめに考えましたね。自分にその認定テストを受けるqualificationがあるのかって。あるから受けるんだよ、って思っていたけれど、本当に一人のプロジェクトマネージャとして顧客と切った貼ったをするなんてまではいっていなかったんですね。そこで解釈というスキルを学んだわけでもあるのですが。でも、基本的にはとても誠実に理解して、自分にqualificationがあるとしたわけです。
他人が作るqualificationと自分が作るqualification
人が、自分以外の人が造るqualificationは、それが明示されていればそれをこえるかどうかだけです。まさに、qualificationがあるのかないのか。qualificationが明らかであれば、とても明確なのです。明らかでなければ、それは明らかになるのかどうかをハッキリしてもらえばいい。ハッキリするなら、そのqualificationを満たすようにすればいいし、はっきりしないqualificationなら自分のスキルとベンチマークできないのだから、闇雲に頑張るのかそれともそうしないのかを決めたらいい。
自分が決めるqualificationはとても曖昧だし、曖昧だからこそ良くも悪くも作用する。それは、自分にとって都合の良いように解釈を続け、自分の判断を鈍くするだろうし、逆にストイックに自分を攻め続けるのかもしれない。どちらにしても、自分と付き合い方を見つけなければならない。でも、自分のqualificationは結局外に出すためのqualificationにつながるのではないか、とするならば、甘くすれば自分の首を絞めてしまうだろうし、厳しすぎれば機会を逃してしまうかもしれない。
そういった自分との付き合い方をqualificationという言葉で学んだ話でした。
- 道具室(アプリとか)
- 図書室
論理トレーニング101題
ちまちまと寝る前にやっているのだけれど、むずい。接続詞ってどんだけあるんだ。ぐぐってもそれほどないのに、むずい。そう言えば、新版でてるんだね。
リーンソフトウェア開発と組織改革
のんびりと読み終わった。最初はね、怠かったんだね。第1章あたりかな。で、第2章くらいから調子が出てきた。いい感じだ。そんな風に加速しそうになる。でも、なんでか自分でブレーキ踏むのね。たしかに、読むには体力がいるんだ。チョットずつしか頭に入らない(気がする)。だからそう自分に素直になって、のんびりと読む。そして、だんした。
結構豆にメモをevernoteにとったんだよ。気になるところは。evernoteにメモしておけばね、いつもでどこでも見られるでしょ。iPhoneだって、PCだって。ブラウザだって。これがあるからevernoteはいいんだ。いつでも読んだ本の気になったところを手で起こして残しておく。
IBMのくだりが最後の方にあるだけれど、これ、ソフトウェアグループって書いてあるから察しが付くと思うけれど、製品開発部門での話だろうね。だからアジャイルがと入れられるんだ。SIでの話じゃないことに注意が必要だろう。
- 音楽室(PCからリンクをクリックするとき、PCにiTunesが入っているとアプリケーションが起動します)
Various Artists
価格: 1,800円
posted with sticky on 2013.2.17
- 視聴覚室
- 調達室