ノウハウとはノウハウにまとめる方法がノウハウであってノウハウとなったものにノウハウはない
何言っているのかわからないかもしれませんがそれほど難しいことを言っているとワタシも思っているとは思っていないのですけれどどうでしょう。
“自費で得たものはあげたくありません”と思っていました
中堅の頃、真面目に自分をエンジニアとして価値を上げようと勉強し始めたあたりは組織がワタシの価値を上げようとする研修には全く興味がなくワタシの成りたいものと組織の用意された研修メニューとのギャップがひどくてウンザリしたものです。だから自分で自腹を切って外部の有料研修に行って情報を集めたり、学んできたので少なくとも自分で対価を払ったものはタダで人にあげるなんてとんでもないことだと思っていた。
あげても何にも問題はなかったんだよ
身銭を切って得た情報はワタシのものであってそれを易々と手に入れようなんていったいどういった料簡なんだと思っていたんですね。その時まだ私は気づいていなかったんです。自分で意思を持って臨んで得たもの以外は身につかないと。自分の頭を使って思考しながら自分の体を使って体験する。そしてその体験したことを何度も自分でふるまえるようにするということを。
形を身に着けるために学ぶ
人が何か技術なりを習得するにはパタン、つまり型として学ぶものですが、それをふるまうのは型を模して自分の形に昇華できなければいつも同じようにふるまうことは出来ないものです。8-9割のアベレージで同じふるまいができるからプロフェッショナルなのであるのですから。
自分を削って与えても何も失うものはないんだよ
その意味で自分の体験して得たことを人にgivebackするなんて、感謝はされ早い時期に手を付けているならその道の先駆者的なポジションにおかれることはあっても、失うものなんて何もないのです。だって、後から来る人はワタシの経験してきたことは何もできなくてひどい人になればワタシの体験を疑似的になぞるしかしないで終わってしまうのですから。
そう考えるとやっぱりノウハウはノウハウとして形にするところの試行錯誤で得られるレベル上げに意味があって、そのノウハウを得るための経験をサマったものにはそのサマリに現れない本質が隠れていてそれは自ら経験した人には絶対に敵わないのだと。