最悪のケースを想定することの価値


珍しく週末も仕事でしたが、日曜日は普段なら行くことのない首都圏ですが外れの方まで出張するということや駅で電車を待っていたら新型電車だったりして「プチ楽しいなー。」感があったので良しとしましょう。この次の週末もかなり危ないですけど。危ないと言えば、アニメもtoruneに溜まってしまうのでそっちも心配でなりません。昨日の帰りの電車で「進撃の巨人を観るぞ!」とつぶやいた割には、帰ってみれば次のテストの勉強でダイニングを占領されているという状況でおとなしくPCの前でインターネットなんぞしながらポテチを食べすぎるという愚行をするわけです。


計画は当日の8割の作業品質を決める
週末は出張先での作業だったので、その前に準備をします。作業はシステム変更で、今あるシステムの設定を何等かしか別の値に変更するものです。ここで計画を立てるときにいろいろ考えておかないと、所謂想定外のことが起きて現地で立ち往生することが容易く想像できます。


もし仮に、容易く想像できる自体が起きた場合のインパクトを考えます。てきとーな計画を立てて、現地に乗り込んでみたら実は作業場に入るのに事前に手続きが必要だったので入れずにトボトボと帰ることになったらどうなるでしょう。いつもいる作業場でないのです。遠隔地なら。その作業をするはずだった人のコストはどぶに捨てることになるし、そこまで行って帰ってくる旅費も無駄になります。そして、作業スケジュールも遅れてしまう。何一ついいことはありません。


緻密な計画は首を絞めるよ
なら、綿密な計画を立てればいいのかというとそこは匙が必要です。綿密な計画を立てて計画とおりに実行したことが何度あったかを思い出してみましょう。小中学校の9年間の夏休みの計画は9度立てた1日の時間割を何日そのとおりにやったでしょうか。ほとんどの人は1日だって計画とおりの時間割でやりはしていないでしょう。つまり、先は読めない部分があってそれに必要以上にコストをかけて綿密な時間割を作るのも又実行しないならムダなのです。だから、加減が必要だというのです。


イメージは何度か書いてきたように遠足の栞くらいのレベルです。2-3時間単位くらいでのマイルストーンを立てるのが一番いいでしょう。それを目途に他に大切なマイルストーンを入れて、全体のバランスを取るのです。


人は“理想”で考える
ざっくりした、でも要所を押さえた遠足の栞は、それでも抜け穴があるものです。それが“その栞のとおりにならなかったらどうなるの?”というケースです。

メンバが来れなかったら。
持ち物を忘れてしまったら。
持ち込む媒体が読めなかったら。
作業が時間どおりに進まなかったら。
別のチームの作業が影響したら。
事前の想定と違う環境だったら。


それを考えるまでは、作業の計画はすべて“理想”で考えていたのです。つまり、計画を立てる側の都合で計画を築いていたということです。これまで生きてきた人生にどれだけ理想で計画したとおりに実現できたことがあったでしょうか。ワタシはないですねぇ、一度も。


最悪のケースを想定することの意味
それ、最悪な事態に出くわしたらというシチュエーションを考えておきなさい、ということなんです。だから、前日にメンバの体調を確認することが必要だし、遠足の栞を作って、そのものが揃っていることも必要です。それが電子媒体であるならその媒体が読めなかった時のために正副を用意しておくとか、自分たちの作業でも別のチームの作業が遅れても取り戻せるように時間としてのバッファを用意しておくとか、想定と違う環境下の場合に誰に連絡をすればよいか押さえておく、とか。


特に、時間は有限だし、前後に別のチームの作業があったりするとそれも制約になるものです。あと、遠隔地であれば帰りの交通手段の時間も気になるものです。それこそ現地に泊まることも考えておかなければならないです。そうすると、事前にどこか泊まれる場所の名前くらいはググっておかないといけないかもしれません。


最悪を考えることは不安になることではない
最悪のケースを考えることは、何も得体の知れないことに対して闇雲に不安になることではありません。「そういったケースが起きたら、こうしよう。」くらいなものです。“こうしよう”と思っていれば、その次の振る舞いが想定できます。だから、最悪を考えてそれを栞に織り込んでおけば、例えば、先のように予備時間を設けておく、とかで対処できるのです。


決して不安になる必要はないでのす。