エンジニアはなぜ知力に筋肉痛を起こし続けないといけないのか

週に一度、それも週末にフィットネスジムに通っているんです。これが習慣になると、フィットネスジムに行かないと気持ち悪いというか、こう、体の中に溜まった何か得体のしれないモノを汗と一緒に流してしまいたい気分になるんですね。なので、ちょー忙しくても週末、片方は「ダメよ。」って予防線貼りますし、そうは言っても仕事しないといけないときは「(その次の週末こそは!)」って内心思って割と真面目にフィットネスジムに行けるように仕事を片付けたり振ったりするんですね。


フィットネスジムに行くことが体調を計る一つのバロメータになっていて、それって夜に酒飲みたいかどうかで体調を計るのと一緒なんだけれど、まぁ、自分で扱える範囲=雁字搦めにならない程度の範囲でメジャーを持っていることは良いことじゃないかって思うんですよ。体調管理のメジャーだしね。


で、フィットネスジムにかれこれ3年くらい?いやもっと?週1だけど通うようになって、ランニングマシーンやらマシントレーニングやらグループレッスンのクラスやらやっているんですが、これがまた必ず筋肉痛になるんですね。毎回。いつも。毎度。


トレーニングをすれば筋肉痛になるけれど、それがいつも同じ場所ってわけではないんだね。これが、不思議と。グループレッスンのクラスのインストラクタがその回ごとに「今日はフォームを気にして。」とか、あーだ、こーだ言えばそこが筋肉痛になるかと思えば、そうでもない。はじめたころよりは大分筋肉痛になる範囲や場所が狭くなったり少なくなったりしたけれどね。


なんで筋肉痛になるんだろうと思い出してみたら、それ、自分で筋肉痛になるようにトレーニングしてるんだね。どうしてだって?それは自分でトレーニングするときに“意識して”して身体を動かしているから何だ、と思う。


身体を動かせば、体を鍛えるためにトレーニングすれば筋肉痛になる。


なら、エンジニアは何をすれば技術的な筋肉痛になれて、どこのスキルに筋肉=技術が身についた、と実感できるようになるんだろう。


エンジニアは、知力も体力も必要だよね。デスマったら体力も必要ですし。デスマらなくても瞬間的なピークはあるわけで。それでいて、プロジェクトの期間は健康で風邪一つ引かないで!っていうのがプロジェクトマネージャの願い事でもあることを思い出せばそれはそれでそういったものだし。


エンジニア本人にとっても風邪で休めば「進捗どうですか?」「ダメです!」な状態になりたいくないので、やっぱりどうしてエンジニア本人が一番体調に気遣わないといけないし、気遣っているんじゃないかって思うし。


じゃ、知力の筋肉痛ってどんな状態ですかね。体力なら滅多に使わないか持っている以上に負荷を掛けるから筋肉痛になるなら、知力は、はじめて使う、又は、持っている以上に負荷を掛ける。(知力に)オーバーワークをさせるから、理解が進まない。ここで“筋肉痛になる”ですかね。どうかな、しっくりいくかな。頭を掻き毟りながら「あ゛ー!!!」なんて声を漏らしながら、とか。そんな状態ですかね。


知力の筋肉痛は、やっぱり、自分のモノになる=理解が腹落ちする状態の手前、なのかな。それが一番しっくりしそうだ。


体力と同じ様になんで知力を付けないといけないんかなんてそれはエンジニアなんだからさ、でいいよね。


だからもっと、知力も筋肉痛になるような環境を作らないといけないんじゃないかな。身体をトレーニングで鍛えれば筋肉痛になれて体力もつけられるなら、知力だって、知力だからこそもっと頻繁にはじめてだとか負荷を掛けてスキルの名の知力をつけようって。そうした知力への刺激を継続して与えるためのルーチンを組み込まないと自分の知力は次第に知らずに陳腐化して結果的に衰えてしまうんじゃないかって。そう思うんですよ。


そう言えば今日は体育の日、でした。やっぱり体育の日は10日に戻して欲しい。