社会人の権限と責任と試行錯誤を続けることと沢山の小さな失敗と


週末に子どもの部活の大会を観に行ってきたんですね。スポーツに限らないことなんでしょうけど、なんというか実力の差がはっきり表れるものですね。とある学校はとても強い。試合前のウォームアップや練習を見ていてわかります。他の子たちとは違う、って。それに比べて、1回戦から試合のある選手たちは傍から見ても「そんなのでいいのか?」と言うくらい緩いというか、勝負に勝とうと信念があるのか疑いたいくなるような振る舞い。やっぱり、負ける選手は負けることをしているのだ、と思う日でした。その点が応援に行きつつも、改めて勉強になったかな。


成人というより社会人になるということ
成人式で形式的には世に送り出されるという儀式をするわけです。まぁ、主催者である区市町村の都合でお正月だったり10日だったりするんですが、法的なところの成人は誕生日で、ですからねぇ。それは棚に上げて、成人ですが、学生の半分くらいが大学に行くような時代ですから成人式を迎えたからと言って全てが社会人として扱われることはないんですね。


本当に世に送り出されるのは就職してから、そう、社会人として働くようになってから、じゃないのかな、なんて思いますね。子どもの親としても、成人式を迎えたからと言って、じゃあ明日から「一人で歩いて行きなさい。」何て言わないもの。学生であれば学生の内は社会人になるまでの猶予期間でしかないんじゃないかな、と。多分、ワタシだって自分の子どもをそのように扱うでしょう。


成人式を迎えたからといって、学生だからといって、試練が無いわけではなく、子どもの年齢や小中高の児童生徒としての役割のの中で揉まれて、戸惑いながら、泣きながら歩いているのは自分自身が経験してきたことなのでなとなくわかります。ただ、自分の子どもは幸いにもワタシが子供のときのようなウィークポイントより自信につながる強みを多く持っているようなので“学校に行くのが楽しくて仕方がない”のは羨ましくもあるのですけど。


社会人とは何か
早朝の駅までの送迎の途中で美容院の店内に明りが煌々とついていて、髪を結われている姿の女性が見えたので「(なんだろう?)」って思って信号待ちをしていて、青信号に変わったあとも「(結婚式?)」とか思いつつ「(あっ成人式だ!)」と多分正解であろうところの解を得られた後、「(社会人ってなんだろうねぇ。)」なんて思いつつ家路をゆっくり走らしていたんですね。

「(そうだよねぇ。社会人になるということは新しいロールを担うんだよねぇ。)」


そんなことを思ったんです。今までは“○○さんちの大学生の△△ちゃん”だったわけで。それが数年して就職したら、やっと、そこで、“大人の”△△ちゃんに昇格するんですね。昇格と同時に新しいロールを任命されるんです。“社会人”というロールを。


このロールには残念ながら拒否権がないと言うところがミソというか又もや試練というか。これまで“○○さんちの”という傘の下で守られていたのに、社会人になった途端、その傘が世間の目からは外されてしまうんです。


ロールの権限と責任
組織の中でのロールには権限と責任がセットになってそのロールを担う人の好き嫌いに関わらず付与されます。権限は裁量、と読み替えてもいいですし、責任は職責を果たせなかったときの腹を切る程度の表れみたいなものです。


それと同じなんだね。社会人も。組織の中のロールは組織の中の規則の上で縛られて運用されるのです。社会人も法律や慣習と言う見えるものと見えないものの上で規制されて運用されているのです。あぁ、なんと面倒なことか。でも、一人で生きていないわけで、毎朝電車ですれ違う見ず知らずの人とも身の危険を考えずに生きていけるのはそういうことの証左でもあるのでしょうし。


社会人も社会人としてのロールの権限と責任を果たさなければならないんですね。ただ、規制する法も経験するまで知らない慣習だらけで社会人のロールの実像がわからない。児童生徒のような“○○さんちの”と庇護下にあったときであれば、親がその知らない法も慣習も前で払ってくれて、親からの指示でやるだけの状態になってからやらねばならないことに接していたんです。


社会人になったアナタへ
ところが、社会人になった途端、世間は“○○さんちの”という接頭辞を外して接してくるんですね。これはほんと、しんどいです。相手が何を求めるのか、その真意を計るところからはじめないといけないんですから。今までは公式に当てはめて問題を解けばい良かった。ところが、社会人になった突端、自分で問題文を読み、解釈し、試行錯誤をして解を導き出さなければならなくなるんです。


でも、心配しなくていいんです。児童生徒のときのようにテストでいつも100点を目指さないといけないわけじゃないんです。問題も自分で設定できます。「そんなことはないだろう?」って。いいえ、試験でなければ相手が必ずいるものです。その相手と会話して、目指す点は何点であればよいか決めていいのです。


そして、その点に近づくために失敗を沢山してもいいんです。ただ、その失敗もワンタイムで大きな失敗にせず、小さなステップにして間違いに気付けるように試行錯誤して、そして進んでいると実感できる程度に続けるんですよ。

“沢山の試行錯誤と小さな失敗と間違いに気づいてまた試行錯誤をすること”


これで社会人のロールを果たせます。おめでとう。