良いなぜなぜとダメななぜなぜの違い


とある日のシステム変更作業で

当事者のエンジニアは、その作業で起きた結果が期待していた結果でないことを認識しました。
当事者のエンジニアは、その作業で使用する情報が間違っていることに気づきました。
当事者のエンジニアは、正しい情報を得て作業を継続しました。
作業は予定より早く終わりました。
その作業はすべてロギングされていました。


システム変更の管理責任者は、ログから作業誤りのデータを発見し、当事者の責任者に説明を求めますが、当事者の作業責任者はその作業誤りについて報告を受けておらず説明ができなかったんですよね。そうれはそうです、知らされていないんですから。知らされていたら、「あぁ、実は情報の行き違いでタイプを間違えんたんです。」といって「てへぺろっ」できたと思うんですよ。


でも、知らなかったから説明できないし、作業責任者は作業管理はそうなったら「作業が杜撰だよね。」と言わざる得ないし。それがロールだから。そうなると「子細な報告をするように。」って言うよね。


ダメななぜなぜ
そのシステム変更作業では作業計画で想定外の事象が起きた場合、作業担当者は作業責任者へ報告し、以降の作業について相談をすることがルールだったんですね。


ところが、実際はそのルールが守られなかったわけです。


作業責任者は、その事象を踏まえ、一人でその対策を考えたわけです。原因は何か、って。その時、作業計画の手順が漏れていたのだから、じゃあ再発防止するには、作業手順の「作業前提にその欠けた情報ももらうように追加するかな。」って。それをやって、て。


でも、そのあとどうも気持ちが悪かったんですね。これ、また再発するんじゃないか、って。


事象にはその事象が起きた原因があるものですが、それは、さらに突き詰めると根っこの部分があったりするものです。“うわべ”だけで事象から原因を探ると、ついついうわべだけで事象の原因を探すことをやめてしまいがちです。今回の再発防止はまさにソレなんです。


何かおかしい、気持ち悪い、また起こるんじゃないか、という感覚はその意味でただしい感覚だったんですね。


確かに、その欠けた情報を入手できてから作業を着手すれば“その”情報を起因とするトラブルは起きなくなるかもしれないです。けれど、それ以外の情報で情報が誤っているときにはそれは防止できないんですね。そんな対策を対策と呼んでいいのかってことです。ダメですよね。だめです。それじゃ、もぐらたたきになっちゃうもの。


ルールを守らなければペナルティですよね
想定外の作業の結果となったとき、しなければならないことは作業責任者へ報告することです。報告し、相談して、事象をきちんと伝えることです。それがそこではルールなのですからルールを守らなければならないのにそれをしなければ当然ペナルティが科せられるものです。


ルールとはルールを守ることである目的を達してメリットを享受するんですね。決められたことをしない、ルールを破るということは、そのメリットが得られないのですからルールを決めた方から見ればデメリットであるペナルティを課すわけです。ルールを守らなければその対価を払わないといけない。


ダメななぜなぜでは、作業手順書を改訂することにしましたが、それで「ルールが守られるだろうか。」そう思ったんです。これじゃあ「またやるんじゃないの?」って。それで、あの指示ではダメだ、と。


原因は作業手順書からの欠落かもしれないけれど、真因は違うんじゃないか。ルールを守れるように作業の“しくみ”を変えないといけないんじゃないか、と。


良いなぜなぜ
じゃあ、どうしたら作業の途中で期待する結果以外のことが起きたら、“ルールどおりに連絡をする”ことができるんだろうか。それを、そのしくみを考えないといけないんですね。


トラブルを起こすと脊髄反射のように再発防止策!!!って言うけれど、それ、本当に再発防止になっているの?って、疑ってみないとまたやりますよ。絶対に。


うわっつらのなぜなぜのようななぜなぜモドキでやってはいかんです。それなぜなぜじゃないんだ、と。どうしてそうなったんだ、どういう心理状態でそうなってしまったのか。そうしたところまで蓋をあけないといけないんです。


そして、しくみにフィードバックするんです。全員が振る舞うフローに落とす。そこまでやると良いなぜなぜだと思うんです。