エンジニアに必要なアーティスティックな感性によるスキルを育てるための種の蒔き方


エンジニアに必要なスキルには、社会人としての振る舞いと意思疎通などの基本スキルとその人が物作りをするために必要な技術要素である技術スキルが必要だ、と思っていることは何度かこのブログで書いてきたことです。


それらの基本スキルと技術スキルを二つ並べたときにどちらも学習したら実践で役に立つのかを考えてみるとそうだ、とは言えないとも思っています。それは、基本スキルも技術スキルも書籍なり研修なりで知識を学ぶことで身につくスキルとその人の感性に左右されるスキルがあるから、です。



知識として学べるスキルは、知の体系となっているものですから“エンジニアリングそのもの”なのだと思うのです。一方、その人の感性に左右されるスキルはどうしてもその人のタレント性に依存してしまうので、知識体系などの形式知として学習させてもどうにもこうにもならない部分が出てくるところです。それをワタシは“アーティスティックな感性のスキル”と表現することが多いです。


そして、アーティスティックな感性によるスキルは幾ら書籍などで概念やhow toとして集成してもそれはその修正した狙いを学ぶエンジニアが言い値のまま吸収することは難しい、とも思っています。


それはエンジニアリングとして捉えられるスキルについては、集合研修でもテキストでも書籍でも知として十分に揉まれているので、それを覚え、それを実践するループに入ればいいわけで、学ぶ対象、身に着ける対象とするスキルが具体的なイメージを把握しやすいからだ、と思うのです。



一方、アーティスティックな感性によるスキルは、そうはいかないんです。


例えば、段取りなんてもっともわかりやすいケースなのではないかと思うのです。同じ仕事場で働いているエンジニアを並べると段取り良く仕事をできる人もいれば、いつも、締め切りに追われて遅くまで働いていたり、納期に間に合わない人もいます。そして、いつも遅くまで働いていたり、納期に間に合わない人は、何度それを経験してもそれが改善することがないのです。


それは、どうしてでなのでしょうか。


その仕事を達成するために必要なスキルが体系化された、形式知として表現されている書籍などから知識として得られるものであるとするならば、その学習の機会を得られるエンジニアは押し並べて同じスキルを持っていないとおかしいことになります。ところが、そうではないのが現実なのですよね。自分の仕事を自分がやり易いように周りの人とのスケジュールを調整しながら出来る人がいる一方、何度も大変な思いをしてやっているんだろうな、と思っても段取りを組んで仕事を進められない人がいる。


そう言った実例をいくつも目の前で見ていると、それはもうその人独特の性質に依るとしか思えないわけです。そうでなければ、学習して、訓練した相当のレベルで実践することが期待されるわけですから。


アーティスティックな感性によるスキルを意識して訓練するには
そう考えると、その人のアーティスティックな感性によるスキルは、そうしたエリアのスキルであることを認識していることが意識的に伸ばそうと思うなら好ましいですが、その感性自体を持っている人は無意識に学ぶ機会を得ることでスキルを向上していることを考えると本人が無意識に自分に対して期待する程度にはスキルが伸びることが期待できます。


そのアーティスティックな感性によるスキルを意識的に得ようと、学ぼうとするならそうしたらよいか。


やっぱり、インプットの量を増やすしかないのだと思うのです。これはその道のプロであるなら意識、無意識を問わずやっていることです。アーティスティックな領域だからこれをやればいいということでもない。でも、自分が関心を持つことは何でも自分にインプットしておく。それも、習慣として、1週間に1回ではなく、毎日、自分にそれを押し込む。


それは、体系的な、形式的な知識の学習ではないわけですから、それをすることで期待できる効果は不確定です。それでも、そうしたやり方以外ないのであれば、それをしてみるしかないし、そのやり方は自分の感性に合うように試行錯誤するしかないのです。


それもで、週に1回しかやらない人より、毎日それを試し試行錯誤する人の方が習熟が難しいアーティスティックな感性によるスキルなのであるなこそ、そのための機会を自分で作るための種まきをしないといけなのです。