人に教えるということ
所属する組織の中で
「読書会や勉強会は楽しいよー!」
なんて機会があるところで構わず言いふらしていたら、
「じゃあ、先生やって♡」
と。思わず、「おぉ……。」と。いや、さ、読書会を開催して仕切るのと、「(先生は違うだろー!センセーは!)」とは思ったんですが、それはそれでやってみるのも「(面白いかな?)」なんて脳裏を横切っちゃうからいけない。結局は、依頼元と連絡を取りながらやるコトになったわけです。
準備編
で、依頼元と話の子細を進める前に「どうしようかなぁ。」と思ったのが正直なところで。先方からは、ある回の「読書会のテーマでいいよ。」と言ってくれたし、そのテーマ自体やることに受講する側も研修効果がありそうなのでそれにすんなりと決められたのはよかったんですが。
違うんですよね。読書会に出てくる人の気持ちと研修に出てくる人の気持ちが。温度差、というか、意識の高さ、と言うか。読書会に出てこようとする時点で何か得ようとかわからないことを聞こうとか終わった後に飲もうとか、はっきりとした目的がありますからね。
その前に、先生を頼まれたのが研修の位置づけになったんですね。だから、こっちも読書会のように「自分で勝手にお土産をつかんで帰ってね。」と言うわけには「(お気楽には)いかなくなったな。」と持ったんです。「(責任重いよ。)」と。
その責任が重いと思う研修も研修に出てくる人の意識は読書会が気楽にだけれど意識が高い、とすると、研修なので真面目だけれど受け身で……というような印象がどうも拭えないんですよ。それは講座でセンセーをする方のみになると、前に立って1対Nの視線の中に置かれると感じやすいんですね。こう、何か見つけようというような前のめりの姿勢や雰囲気が。
そうは言ってもそこを考えないで、フリーでやってしまうと掴みがないピエロになってしまう。それもツライ。なので、このキッカケを作った先方に
「何か目的や狙いがあるの?」
を直接聞いてみたんです。そうしたら、熱い思いがあったようで、それをメールでもらいました。
「読書会のスライドを見たけれど、これは組織の全員が受けないといけないと思ったんだ。そのくらいの価値がある。だから、ワタシのメンバには受けさせたいんだ。これはエンジニア全員が受講しないといけない。若手もシニアも。」
随分、高く買ってもらったようです。おぉ、マジどうしようと。で、あとは、もう、時間枠を最大限に使えるように、熱い思いに応えてあげようと講座の構成の見直しに掛かったわけです。読書会では10ページもないスライドがバンバン増えていくんですよ。それはそうです。今回の講座を受ける達は連続した読書会の過去を知らないからそこから切り出された回のコンテキストがわからないですから。それを補完するためのスライドを作ったり、知らないであろう背景の解説を入れたり。
実は読書会と言ってもその書籍によってホントに読んで感想を共有して共感する正統派の読書会もありますけれど、このときの読書会での書籍はhow toがある実践タイプの読書会でした。「それは何?」と不思議に思うかもしれないけれど、ワークをしないと実感しないし見につかないタイプの書籍、と思ってもらえばいいです。簡単に言えばワークショップ。
ワタシ、授業型の研修よりワークショップの方が好きなんです。だって、実践するから理解できたか出来ていないかがはっきりわかるので。それを今回、特に「実感して欲しい!」と強く思いつつスライドを見直します。
あと気を使ったのは、講座なので時間枠があるということです。その枠の中でいくつかあるコンテンツやその解説の時間をどう割り振るか、時間配分は気を使ったのです。余りに詰め込んでしまうとやった感はあるけれど何をやったかがわからないし、ゆっくり過ぎると弄んでしまうので。
整理をすると、
開催目的、狙いを確認する。
開催要領(日時、枠、出席人数、場所)を確認する。
受講対象者(年齢層、目的の対象とする年齢層があるか)を確認する。
講座のシナリオを(再)構成する。
セルフでやってみる。
リファクタリングする。
センセーやるの、勉強になります。