成長のフィードバックを貰えると期待することがコミュニティへの参加と帰属意識を強くする


フィードバックはドキドキです
先達てのブログに書いたように、先生をする機会があって、そのフィードバックを受け取ったんです。何て言ったって、場に参加された方々の感想が直球で返ってきますから幾ら歳を取ったオジサンとは言え、ドキドキなんですよ。ホント、マジで。


ワタシ自身が何かを学ぶとき、ソレに対する期待値を何等かしか持って望むので、その講座の中から得られることが一つでもあれば○(まる)だし、講座の看板と中身が違うような羊頭狗肉ならダメだし(×)を付けるってものです。今時のカンファレンスでもセミナーでも組織の研修でも受講アンケートは取りますから、その観点でズバッと評価します。そのとき、一つ注意しているのは極力、「曖昧な評価点を付けない、メリハリをつけて採点する。」と言うことに配慮しています。何か得られれば、☆を5つつけてあげて、講師へ「次も頑張ってほしい!」と思うからです。


あと、自由記入欄も書くようにしています。5段階評価で表現できないことはたくさんありますから。先日の“リーンカンファレンス2014@東京電機大学 に行ってきて学んだのは“ありたい姿”へのアプローチ方法だった #lean2014”でも、この講座は「準備不足だ!」と思えば素直にそう書いたです。それは、「その講座、講師への期待値があったんだよ。」ということを伝えたいからです。


そんなことをツラツラと考えて生きていますから、それはワタシ自身へのブーメランになることもわかっているつもりです。つもりなので、実際、何かネガティブなことを書かれたらツライと思うかもしれないです。でも、一方のワタシはそれは何を言われても、

“今だ未熟な自分をカイゼンするヒントなんだ”


とも思っているので、大丈夫、だと思いたい……。


コミュニティはエンジニアを幸せにするか
ところで、きしださんがコミュニティに入るか入らないかでエンジニアとしての幸福度がかわる きしだのはてなのブログに書かれているコミュニティに入ることでエンジニアとして幸せがかわるのではないか、というポストを読んでいて速攻でブクマしたわけですが、きしださんの言われているのは、

“組織の中で教育は期待できない”
“組織の中で期待するほど同じ関心を持つ仲間に知り合う機会がない”
“組織の中では期待できないから、外部の場をそれに代替するしかない”


と言うように標題(を勝手に要約してしてしまっていますが)のとおりだと。


ワタシ自身、コミュニティを“組織の中で”主宰するように至る経緯の発端は、2000年過ぎにブームとなったプロジェクトマネジメントの強化の一環のPMBOKの研修に“選ばれなかった”ことか起因なんです。多分、きしださんの言う“組織の中で教育が期待できない”は、教育のコンテンツとしての存在自体が期待できないということで、ワタシのように機会はあったけれどそれに選ばれないということは考慮の範疇に入っていないのではないか、と推測したりしています。その方が、話の前提として楽だもんね。


で、なんで機会がないのさと思ったけれど、昭和の頃はIT業界はやっぱりホストシステムが主で、それが主だから、教える側も教育プログラムのコンテンツもシンプルだったのではないか、と邪推するわけです。


ところが、今は所謂分散系の技術が溢れかえっていて、新技術も次々に出てくるから組織の教育部門が世の中の技術やビジネスで必要な教育プログラムのコンテンツに追従できない、と言うあたりが真因なのではないか、と思うに至ったわけです。はい。


それはもう、教育部門は技術のコンテンツはその幅の広さに比べて需要が分散してしまっているので諦めているのではないか、としか見えない。それは、「エンジニアにとっては、組織は何もしてくれない。」にしか視えないのではないか、と。


組織の中で仲間を見つけられない理由
これ、技術の細分化も一つの原因なのではないか、とおもうんです。そのもっとも解り易いのがITスキル標準V3 2011などのエンジニアの技術とキャリアパスに表れているんはないか、と思うんです。まぁ、今時ITSSなんて関心を持っている人の方が奇特かもしれないですけど。


それは、IT企業のビジネスのある時点での結果を端的に表しているのであって、現実のビジネスの方がより深刻なのかもしれない、とも思ったりします。それは、ビジネスの事業自体が特定顧客を向いた事業になっていたり、専門技術をベースとした事業になっているからじゃないか、と。それぞれの事業のたこつぼに籠ればその中で同じ技術を持っている人に会えそうですが、実態は、客先に出されていていたりして分散してしまっているから会う機会がないのではないか、なんて思ったりするんです。そこをエンジニアは「機会がない。」と言っているのではないか、と。


「無ければ作ればいいじゃない。」
同じことは思ったんです。う〜んと、2001〜2002年ごろ、だったかな。別に先見性を自慢しているんじゃなくて、プロジェクトマネージャになりたくて、組織の中では実績を積み上げないと認められないないという文化があるとするなら、buzzかもしれないけれど、ワールドワイドで認知されるcertifyされる「PMPを取ってしまえばいいじゃん?」と思って行動し始めたから、なんですね。


で、その知見を得て、実際やってみて。やってみてを積み重ねると、じゃあ、次はどうするか、と考えるわけです。そんなことを考えているうちに、マネージャになってみると、育成をしなければならなくなって、場が必要であることを改めて気づいた、と言うことなんです。


はじめは自分の手の及ぶ範囲でその場を作ることをまずは試みて、失敗もして、でも、継続させてもらえるだけの任期の機会を得てワタシのチームの文化、にしてしまったんです。それは、望んでやったことですから結果もついてくる。人も育つ。人的更新が循環し始めると、それに気づくエライ人が出てくるんです。


ワタシ自身が、今のエンジニアとしての、プロジェクトマネージャを専門とすることは意識して続けていることは、今の職責を解かれたときに何ができるかを少しだけ考えているからであって、それはワタシ自身にもうこれで大丈夫と思えるほどの技量がないと思っているからの証左でもあるんです。


だから、フィードバックをもらえる場を組織の中に作り、その場から、率直な意見をもらって、自分を諌めたり、改善点をもらったりするように仕向けることであえてワタシがワタシに厳しい環境に投げ込むことを仕向けているのです。
でも、Mではないけど。