エンジニアの教育と訓練と躾け


エンジニアの教育って、組織に入ると集合研修後を受けて、後はいきなりOJT (On The Job training)になるのが良くも悪くも王道のパターンのイメージを持っているんですがどうですか。勿論、プロジェクト管理とかWebアプリ開発とか概論的な技術研修もあったりしますが、あくまでも入口の様なもので、技術領域については基本的に「自分で勉強しな。」のイメージを持っていますが。その他は、組織の体力やガバナンスの程度で年次の研修があったり、コンプライアンスの研修があったりくらいでしょうか。


組織の中でエンジニアに何かを外から学ばせる行為を表現する言葉が幾つかあって、そのうちのいくつかを挙げると“教育”、“訓練”、“躾け”などが使われています。gooでそれぞれの用語の意味を辞書で引くと次のような意味があることがわかります。

きょう‐いく〔ケウ‐〕【教育】
[名](スル)
1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「―を受ける」「新入社員を―する」「英才―」
2 学校教育によって身につけた成果。「―のある人」

くん‐れん【訓練】
[名](スル)
1 あることを教え、継続的に練習させ、体得させること。「きびしい―にたえる」「―して生徒を鍛える」
2 能力・技能を体得させるための組織的な教育活動のこと。「職業―」

し‐つ・ける【仕付ける/▽為付ける】
[動カ下一][文]しつ・く[カ下二]《「し」はサ変動詞「する」の連用形。「仕」は当て字》
1 しなれている。やりつけている。「―・けない仕事なので、はかどらない」
2 (「躾ける」とも書く。「躾」は国字)礼儀作法や芸などを教え込む。「子供をきびしく―・ける」
3 縫い物にしつけをする。「着物の袖を―・ける」
4 植えつける。また、田植えをする。「畑にキャベツを―・ける」
5 嫁入りや独立など、娘や息子の身の振り方を決めさせる。
「今時の縁組…美を尽くして―・けける」〈浮・一代女・四〉
6 負かす。やっつける。
「千代歳さまに―・けられて無念な」〈浄・冥途の飛脚〉


ワタシの感覚では、対象となるエンジニアのキャリアに向けたスキルを付けさせるための学習では“教育”を、避難訓練などで脅威から身体を守る行動を伴うものは“訓練”を、日々の振る舞いを身に着けさせるものについては“躾け”を自然と使い分けている気がします。気がするとしたのは明確な区別があってしているわけではないためです。


辞書を引きなおして意外だったのは“躾け”の意味でした。仕付けるが正しい当て字なんですね。ただ、意味合いとしては、1番目の“しなれている。やりつけている。”の意味を踏まえて「しなれさせたい。やりつけさせたい。」というニュアンスで使っているのでその点では用法はあっているのかと。


エンジニアと教育
エンジニアに対する教育とは、一人ひとりのエンジニアに対して“知識、技能、人間性の能力を伸ばす”ことを目的とするわけです。この領域はよく語られるしワタシ自身述べているのでここでは割愛しておきます。


エンジニアと訓練
ところで、エンジニアに対して“訓練”という言葉はあまり用意ることがない気がします。あるとしても先に例示したような避難訓練くらいしか思いつきません。


それは、どうしてなんでしょう。辞書にあるように“あることを教え、継続的に練習させ、体得させる”様なことがないからなのでしょうか。“能力・技能を体得させるための組織的な教育活動”に当てはまるようなことはないのでしょうか。


ワタシはエンジニアには、エンジニアリングとして学ぶ領域とアーティスティックな感性に依存する領域の2つがあると思っています。その2つの領域の内、エンジニアリングの領域は、技術を継続的に練習させて必要な時に発揮できるように施させなければ、その技術が必要になった時に発揮できなくて困るのはエンジニア自身なのではないか、と思うんです。だから、訓練として組織が継続的に技術や開発手法を刷り込み続けないといけないのではないか、と思っているのです。


不思議なことに、訓練とか単語を持ち出すと、「それはエンジニアにふさわしくない。」とか「強制されるのであれば自由な発想でコードが書けない。」とか言い始める人たちが出てくる。いやいや、「そんなこと言うけどさ、じゃあ、基本的なことができないんだよといつも嘆いている張本人は誰だっけ?」って詰めよって聞きたいですけど。


組織として動くなら、誰がやっても同じ結果になるような、きわめてエンジニアリングな要素を持つスキルをロジカルに学び、使えるようにならないとそれは組織において何かリスクが生じたときに適正に対処できない危険性を内包しているとしなければならないのではないか、と思うのです。


標準化するのも作業品質を担保してそのリスクを回避するため、でしょう。躾けも日々の作業で間違ったやり方をしてエンジニアの身体に危険が及んだりすることを身に着けさせ自然と回避させたり、ムダなやり方を排除するような考えを慣れとして振る舞わさせたりすることを目的としていると思うんです。


そう考えると、今のエンジニアには訓練を十分施さずに、自主的な学習のみを期待しているにもかかわらず、育たないと嘆いているような気がしてならないのです。