エンジニアと言う井の中の蛙が自分のスキルと向き合うなら井戸の外に出てみない限り出来やしない

エンジニアなら、自分の技術に自信を持って仕事をしたいと思っているし、そうなるように自分の技術を自己研鑚しているんだよね。と、尋ねればみんな「そうです。」と答えるけれどホントかな。もう一つ、二つ突っ込んで質問したら8割の、いや、9割のエンジニアは、自己研鑚への行動として何が正しいか正しくないかはさておき、ハリボテであることがばれちゃうんじゃないかな。残念ながら、ワタシはそこのあたりをグリグリと簡単にねじ開けて深く質問を差し込む自信はあるんだ。諦めてくれ。


絶対評価相対評価
ところで、そのエンジニアの当事者としての自分のスキルはどう測定しているんだろうね。いつも自分で目盛を変えられるメジャーで計っていたりしないかな。それじゃ自分が満足するように誤魔化しているだけなのはわかっているかな。


エンジニアが自分のスキルを計るとき、二つの評価が必要なんだよ。1つ目は絶対評価ね。これは、自分のスキルを構成する基礎スキルと技術スキルの何れでも同じなんだけれど、一つひとつのスキルで自分が「エンジニアとして何がどこまでできるか」という客観的な評価をいうんだ。え?知っているって?ホント?じゃあ自分で評価してみてごらん?その評価にはやったことはないけれど多分できるとか客観的なエビデンスを指し示すことが出来ない「かもしれない」という甘い自己評価が含まれているんじゃないかな。そういった曖昧になりそうなスキルの評価には、自分にこう問いかければいいんだ。「それはどのプロジェクトでやったのか?」って。


自分のスキルの絶対評価なんてとても簡単なんだよ。「何度かやった経験があるかどうか。」それだけだ。一度ではだめ。そのスキルを次に活用しないといけないとき自分のモノになっていないから。こうやればいいからというパターンになっていない状態は身についたスキルと呼べないから。


相対評価が出来ることも必要なんだ。いつまでも担当エンジニアでは担当する工程も責任範囲も同じで代わり映えしなくて折角楽しいはずの仕事がつまらなくなっちゃうと感じちゃうんじゃないかな。なにより、自己研鑚しようとして自分の時間を充てて基礎スキルや技術スキルを上げてみたとしてもそれを活用する、実践する場がなければ自己研鑚し続ける理由がなくなっちゃうじゃないか。それに、自己伸長したスキルを使って守備範囲を増やさないとマネージャがエンジニアの給与を上げるための理由を作れないじゃないか。


脱線するけれど、エンジニアの上司のマネージャはエンジニアの給与を上げるための理由が欲しいんだよ。ただ頑張っているだけでは給与は上げられないんだ。組織全体の中で評価するときにただ頑張っているだけじゃ他の人だって頑張っていると言われてしまったら優勝劣敗を付けられないだろう。強く推せないじゃないか。だから、その説明のための根拠が必要なんだよ。


いままで多くのメンバと接してきたことをふりかえると、エンジニアにとって絶対評価の方が相対評価より説明しし難いと思わざる得ないんだけれど、とは言え、それもできないと守備範囲を広げるための次のロールにステップアップするための実績を作る場自体を確保することが出来ないというループに入っちゃうので頑張らないといけないところだと思う。まぁ、絶対評価エビデンスを使ってロジカルに実績を指し示せるような説明が出来るようになることがすでに絶対評価をある精度でできているっていうことの証左でもあるんだけれどね。


組織の中での相対評価と組織の外のエンジニアとの相対評価
でもね、それらができてもそれって組織の中の評価でしかないんですよ。同じ組織の中でも技術レベル、スキルレベルが違うように、組織の外とだって同じ技術エリアで相対評価してみれば片やその技術エリアでのトップだったり、一方自分の属する組織のレベルは中の下だったり。それって、自分の所属する組織の中でばかり相対評価をしていても井の中に蛙が沢山いて井戸の中だけで比べて例え1番だとしても井戸の外に出てみたらもっと大きな井戸の中で、その中で相対評価してみたら中の下だった、なんてなりかねないわけで。


ここでも脱線しちゃうけれど、「転職しよう。」なんて考えているなら組織の中の相対評価がいくら良くてもダメなんだよ。技術者という大きな市場があってそこに投げ込まれた途端に価値判断のレートが変わってしまうんだ。そこを分かっていない人が多いから9割の転職は失敗しちゃうんだ。買い手はエンジニアを育てることを外から買ってくるという費用に差し替えて技術を手に入れようとしているんだからね。


沢山のエンジニアと関わり合えないと自分というエンジニアに向き合えない
自分のスキルをアセスメントして、強みと弱みを評定して、自己研鑚と仕事で研磨することも大事だけれど、自分と向き合うとはすべてを自分一人でできるわけじゃないんだ。そうはいかない。そんなことばかりしていては、無自覚に自分の楽な、自分の都合の良い解釈をして自分を育ててしまうことになってしまうんだ。


自分と向き合うとは一人になることじゃないんだよ。


でもね、だからと言って社外勉強会やコミュニティに行ってばかりで、終わったら飲んで騒いで、ではだめなんだ。付き合う相手にとって時間を割く意味のあるエンジニアの存在の可能性がなければ相手は多くのコミュニティのその他大勢の一人でしかなれない。勉強会に行って単なる取り巻きではダメだ。自分がその場に行って、その場で関わるエンジニアにインフルエンスできるかどうかに掛かっている。例えば、「この人と会話すると気づきがある。」というような。


自分だって同じはずだもの。世間話をするだけなら就業後に勉強会という名の駄弁りに時間を割く意味なんてあるか、と。


自分の、エンジニアとして外の組織のエンジニアのレベルと比較して自分が属する組織がどのあたりにいるのか、その属する組織の中での自分はどこにいるのか。それを知るために、ワタシと言うエンジニアを自分が向き合うために知るために行くんだ。


エンジニアと言う蛙は井戸の外に出て行かなければ自分のスキルと向き合うことは難しいんだ。