今の自分できることなんて、それだけ。


ゴールデンウィークの最中には読み終えようと思った本は読めたし、読もうかな?と思っていた本も買い求めて、ここまではと思ったページまで読み進めれたのはよかったなぁ、と振り返るも「○○しよう」と思うとき、後者の本を読もうということの前に割と高い値段の書籍を買うと内心決めていたりするし、買って読みたい動機も内在していることを認識しているからそう行動しただけなんですが、そうしたプロセスを鑑みると自分の行動って思った以上に単純で本能に近いところで動いているものだなぁと。


それとは反対に、やろうと思っていたことでも「まぁいいか。」と少しでも思ったものは先延ばしをする判断をしていたりするもので、先延ばししたことに対する判断には先延ばしをする理由付けをするんだけれど、その理由付けも歳をとればとっただけそれらしい理由付けをするもののですねぇ。


今の自分のスキルを認識することは得意ですか?

「今の自分のスキルを認識することは得意ですか?」


これは接する機会のあるエンジニアの方には一人ひとり聞いてみたいことの一つです。これまでそれなりの数のエンジニアの方と仕事をしてきて、それぞれの人が自分のスキルをある程度の精度で、−−本人が言っていることとアウトプットの較差の意味で−−、較差が少ないというか言ったとおりにモノが出てくることは3割くらいなのではないかと。そんな感じに思えてならないです。それ以外の方はできると言うからやらせてみたら「あれ?このレベルなの?」と赤入れをせっせとしたり、考え方から意識合わせし直したり。


第三者的に見ると、まぁ、こちらの要求レベルがキビシイんですかねぇ。期待マネジメントをすべく、先にイメージ合わせするようにしているんですが。「じゃあ、お前はどうなんだ?」と訊かれるのでしょうけど、そうですねぇ、はぐらかすつもりはないんですが「今の自分できることなんて、今できることだけ。それだけ。」なんですよね。「いやもっと具体的に。」と詰められれば、「多分できると思うよ、私が持っているスキルの延長線上で。でも、ソレをできるかどうかはわからない。」と。それって結局、頭の中では経験に基づいた実績を描いていてそれをイメージしながら答えているんです。その意味では、自分が確実にできること、つまり、スキルエリアと経験した範囲でのロールをバックグラウンドにしているので自分のことの認識をしているのだと思うんです。まぁ、自己申告ですけどねぇ。


いつも同じレベルでアウトプットできなければできるとは言いたくない
なので、ワタシの自分に対するスキルの認識は自分の経験に基づいているのですが、それも「ただやったことがる。」ではなくて、「こうやろうと思ったとおりにできたか。」に「次も同じようにできるか。」というcriteriaが付きまとっています。やったことがあるでは、次も出来る保証を自分で担保するわけにはいかないですからね。


頭の中のイメージと自分の身体がシンクロして大体同じレベルでアウトプットを出せると「このスキルは自分のもの!」と内心ほくそ笑むことができるのであって、そうでなければ曖昧な答えしかできないんですね。


何より、頭の中のイメージと身体がシンクロして動かせるようになっているということは、ある程度のパターンで物事を処理できるようになっているということで、それがあるから突拍子もないことになってもそれなりに変化して対応できるわけで。


だから先を考えて本を読む
自分が次もできると自信を持っていて更に頑張ろうと思えばその先のネタを仕入れようと思うし、ここはホワイトスペースで次に手を出したいと思うスキルエリアだと思えばそうしたところのネタを仕入れようと自分を動かすのです。そうした修正をどうやら持っているのがワタシのようです。


なので冒頭の後者の書籍はそうしたホワイトスペースである専門領域ではないエリアのナレッジに当たるものを読んでみようと思ったわけで、実際読んでみたら、まぁ要旨だけを集めて自分に突きつければ、その該当するエリアのスキルに対する自分のレベルがあまりにも無知というか単に自分の経験に胡坐をかいていただけであったことを知ることができたのは、実は内心穏やかじゃないけれど「自己流だけではいかんな。」と戒められただけでも高い書籍に対価を支払った以上に得たものがあったので良い買い物だったかと。


でも、これだけでは単なる反省でしかなくて、これを次の行動に移すアクションプランにしないと意味がないんですよね。今それに繋げるために手を掛けている最中です。


そうした認識をできただけでも今年のゴールデンウィークはしっかり休んで本を読んだ甲斐があったものだなぁ、としみじみ思ったのでした。あと、艦これの1周年のイベント、E2をクリアできたのがよかった!