プロジェクトで節制もしていないのに痩せたワタシにとって修羅場とは


いやー、去年も大変だったけれどよくよく考えてみたら「大変だけ」で「修羅場」ではなかったなー、と思い当たって、

「あれ?修羅場ってどのプロジェクトだったかな?」


なんて思ったりするのは歳のせいでは、いや、歳のせいかもしれません。うーん、うーん。やっぱりあのプロジェクトかなー。


プロジェクトで節制していないのに痩せた
たしか30歳台も前半の頃、今から思えば、まだ、ただ若いだけで、知恵も学習も足らないエンジニアだったワタシは、とある再構築プロジェクトの中堅のメンバにアサインされたんです。


パッケージソフトウェアの導入で、そのパッケージの業務も知らずしてアサインされて。何度か徹夜はあったけれど、そうした勤務状態よりチームの人間関係で苦労していたんですね。それは、はじめてチームを組む人と上手に関係づくりが出来なかった、という今の自分なら当時の自分に対して「ライトなコミュ障じゃないの?」なんていっちゃうくらいのレベルでしたから。いやいや、そうは言ってもちゃんと意思疎通をできる人もいたわけで、どちらかと言えば、特定の人との関係につかれていたんだと思います。


だから、当時、自分が節制して痩せたことがなかったので、その痩せぶりに驚いた。


思い出すことも躊躇われる経験
いくつものプロジェクトをメンバだったり、プロジェクトマネージャだったり、マネージャだったりとそれぞれの立場で役割を担ってきて、


「二度と繰り返したくないなー。」


という、どっちかと言えば思い出すことも躊躇われる経験が一つや二つはあるのではないか、と思うんです。ワタシにとっての一つが先の人間関係で痩せた件です。


周りは全然そうでもなかったのでしょうけど、ワタシ一人、修羅場だったです。はい。


もう、頭を使って、行動に移して解決すればいいものを負の思考ループでぐるぐるしていたのは、自分の問題だったのにその問題と向き合うことをしていなかったからです。当事者の自分が問題から逃げていれば、課題設定もできないし、課題解消のアクションも取れません。今ならそんなの「その相手と会話しておいで。」って言っちゃいますけど。簡単に言えば、お子様だったわけです。どうしようもない。


それまでは、へらへらとなんとかするりと躱してこれたことが、却って、そうした出来事に対しての対応スキルを得る機会を失っていたのかもしれません。そう言えば、どうしてあの問題から離れられたのだろう。多分、今まだ、こうして修羅場というか思い出すことも躊躇われる経験であることをふりかえれば、ワタシの中ではまだ未解決の問題ととらえる方が適切なのかもしれません。


思い出すことも躊躇われる経験は自分の経験を超える出来事なのだとしたら
思い出すことも躊躇われる経験は、それまでの自分を支える思考のフレームワークを超えた事象に出会うから、オーバーフローして想定することが出来なくなってしまうから、なのではないかと思うのです。理解できないからストレスを感じ、課題設定をできないから負の思考のジレンマに陥る、と。


その対処には、いままでの思考とは違う考え方、フレームワークを再構築しなければならないのです。そうした状況になる経験が修羅場ではないか、と。いや、そうあってほしいなぁ。でも、解決していないんだよなぁ。でも、経験がベースにあって、そうしたことになっても「今なら」解決できる思考のフレームワークを作り直すことができたんだよなー。