ひっそりと業務の標準化をやらせてしまう方法
仕事をしていると多くの人と関わらないと仕事にならないのは業務を専門に分けて職種で分業して事業を構成しているからなのは当たり前の日常で、当たり前でないのは人的規模の小さな組織か事業単位が小さく独立採算で自立をせざる得ない組織かな、なんて思います。まぁ、多くは分業制になっていると思うんです。
幾ら分業しているからと言って、1つの仕事やプロジェクトの単位でみればそうした多くの職種の人を寄せ集めても1つの案件をキャリーするためだけに寄せ集められているのであって、業務自体は一定のルール下に置かれて手続きされるのです。
業務自体は一定のルール下におかれて手続きさが進められるのになぜかその業務を担う人によって勘違いした自由を発揮しようとする輩が出てくるのは不思議なことです。自分が担当する業務でルールに沿うところと自由な発想を発揮するところはその発揮する場所場所で選ばなければならないのに。もちろん、自由な発想を発揮するのは自己に完結した仕事の世界でやって欲しいのであって、仕事に関わる関係者が複数いるときに自由な発想を案件ごとに発揮されるとその場に関わる人にとっては毎回違う所作をみせられるわけで迷惑千万でしかありません。
例えば、レビュー対象のドキュメントに必ず記載する必要のある事項がある場合、ルールで記載されている項目、順序は統一されているとレビューアもレビューイもその項目の抜け漏れなどの確認が暗黙で省略できるという高いコンテキストの中から始められます。ところが、記載項目の順序が毎回変えられていたりすると項目の充足の確からしさが担保されないので一番手間のかかるレベルから手続きを開始しなくてはなりません。
作業の標準化とは、こうした毎回繰り返されることの負担を負わなくてもいいことを標準化側で負担することなのです。
オレオレの自由さを発揮するということは、こうした標準化により得られる作業の品質担保を無にするだけではなく、標準化に掛けたコストを蔑ろにするということをしているのだと認識しなければなりません。
さて、ではそうした自由さを発揮する人達にどうしたら一定のルール下に合わせてもらえるのでしょうか。
一つの案は、彼らが書くドキュメントの標準テンプレートを作成し、配布することです。標準化テンプレートを作り、これを使ってドキュメントを作る様に半ば要求するのです。
何か案を出す場合、常に気を付けておかなければならないことがあります。その案をすることで初期作業の手間がどのくらいかかるか。もう一つ。その案を出した後、初期作業の後に定常的にどのくらい維持に手間を掛けないといけないのか、と言う点です。その維持に掛ける手間は自分でやるつもりで考えなければいけません。コトは自分の問題として扱わなければ真剣に細部まで考えないからです。
その点から言えば、一つ目の案は標準テンプレートを作成し、維持し続ける負担を負います。さらに、継続的に布教活動をしなければなりません。
二つ目の案は、レビューなら事前に配布される資料を査読した結果で一定のルール下におかれるものはレビュー前に査読結果をレビュー出席者全員に通知してしまうのです。その査読結果自体、テンプレート化しておいて、記載が必須で順序のあるものは必須項目を列挙しておき、記載の有無、記載順、記述の不足を明示的に書いて返すのです。これをずっと続けていると、記載があっても順序が違うだけで指摘されますから次第に表記がばらけることが収束されるのです。
二つ目の案では、強制はどこにもありません。強要もありません。存在するのは査読結果を返すこととその際にメールテンプレートを使うことくらいです。この二つ目が低コストであることと事前に査読結果の一部を返していることに注目してください。実際のレビューでの質疑と対応をその場で知るよりレビューイ側の受け入れるハードルがとても低いことに気付かなければなりません。人は事前に知っていれば自分で理解する時間を得られるので冷静に判断できます。冷静に判断できるということは「指摘事項を直せばいいんだ。」と自分自信で受け入れやすくなるということです。対面でココロの準備をしていなくて言われたら同じことでも感情が先に介入するのでそうはいかないでしょう。
二つ目の案は実はレビューイに受けれ易く、実態は標準化をひっそり進めてしまえるのでとてもいいやり方だと思いませんか。