レビューの長時間化を招く3つのパターン


文書を作成するときに、その文書の読者がどう受け止めるか、その文書に記載する情報若しくはその文書を読む対象読者が持っているだろうコンテクストを借景することを意図しないと文書としては曖昧さとか不明瞭さがあると思われてしまうと思うのです。


例えば、自分の思いを発揮したオリジナリティ溢れる文書は作成者だけにしかわからない前提が呪術のように織り込まれていることがあるものです。そうしたエンジニアの文書レビューは得てして長時間取られることになって、双方あまり幸せではあるはずがありません。
そうしたケースは、何となくはレビュー案内が届いたときにフラグは立っているものですが。


少し前、ある文書を顧客へ提出する、とのことで事前レビューと相成り、そのレビュー会の案内が届いたので参画したのです。顧客とは事前に何度かすり合わせをしているようで文書の方向性は問題ないようでした。


文書を読んでいるととても不明瞭な個所がいくつも出てきたのです。だからとてもレビューに時間がかかる。いや、事前配布の資料は査読していたのでその折り返しで質問の予告リストは出しておいたのですが、当日までに回答がなかったので結局一つひとつの疑問点をつぶしていくことに。さらに追い打ちをかけるのが質問事項に対する説明を聞くと追加で出てくる質問とある意味悪循環のループに入ってしまうパターンに。


どうしたら悪循環のループに入らないで済んだのでしょうか。


・文書に対して作成者の思いがあるのだけれど、それが言葉として表現されていないとき
・文書に記載の事項が、両方の意図に受け止められる表現をしているとき
・文書の詰めが甘く作成者自身にロジックが出来上がっていないとき


このレビュー会ではこの3パターンがあったと思います。何となくあたりまえなことに思えるのですが。