人を抱えられるキャパシティを見切れないでリーダにアサインすると悲劇が起きるよ


なにもお盆休みというかコミケ2日目までプロマネねたで書かなくてもいいんじゃないか、と思ったりもしないでもないけれど、まあこれが習慣だし、明日も書くのでしょうねぇ。明日は電車で座れたら、かもしれないけれど。


システムエンジニアに限らず、人には人それぞれにキャパシティがあるんですね。それもいろんなキャパシティがあるんですよ。その中のひとつにどれだけ人を抱えられるかというキャパシティがあるんですね。


ある時期、メンバの人数がひとクラスぐらいのときがあって、まわりの管理職からよく言われていたのは「よく目が届くな」とか「それ、組織単位がひとつ上なんじゃないの」みたいに言われることが多かったですね。


これ、べつに自慢じゃなくて、ひとクラスのシステムエンジニアなんて見ていられないよ、と思うならそれはその人のひとを抱えられるキャパの違いからくるもので、ひとそれぞれに違うんですよ、ということを気づいて欲しかったんですね。


不思議なことに、自分のキャパシティは感覚的というか経験からきていると思うのですが、どこまで自分の目を届かせることができるかという指標を持っているのに、自分の部下やチームのメンバに対してはそういった感覚をすっかり忘れて「やって」というんですよねぇ。あぁ、不思議ちゃん。


こうしたシステムエンジニアを抱えられるキャパシティって、そのご本人のマネジメントスタイルというかシステムエンジニアとして役割に応じた自分とメンバとの仕事に対する関わり方がとても左右すると思うんですね。


細かくメンバの側に行って困っていることがないかを聞いたり、心配して先々に手を打ったりするママタイプとロールをばさっと決めて、あとは困ったら相談に来てと信頼して任せて、その間に先を考えて手を打つパパタイプの2種類があるかと。


これ、キャパシティが大きく左右するのはママタイプですね。わかると思いますが。自分のリソースをメンバの心配事に対して優先的に割り振ってしまっていますから。


一方、パパタイプはメンバがパパからの信頼に応えている間はいいのですが、それが破られると一気にガタつくわけで。一見、丸投げしているようで実はリスクの高い、つまりチームの弱みを見切れて必要な自分のリソースをそこに集中的に投下できる判断ができないとズタボロになるという…。


このママタイプにシステムエンジニアの気質が抜けきらない人がリーダにアサインされるととても危なっかしくなるのは何故なんだせぇ。


話は単純で、自分の基準で作業まで手を出そうとするし実際出してくるのでリーダというコントローラがなくなっちゃうか、作業員の目線でしかものを捉えられないリーダが自分のリソースを使い果たして二進も三進もいかなくなるわけです。


簡単に言えば、リーダの仕事をお留守にしてるか中途半端にして、本来の仕事をしないという、アレです。


人のキャパって若手のときから見ておかないと間違ったプロジェクトサイズを渡してしまうともう、悲劇ですから。当人にとっても周りにとっても。


一番いけないのは、その当人がひとを抱えられるキャパシティに一因があるということに自ら気づけないことなんですよねぇ…。なんでこうなってしまったんだろう…、みたいに。最悪なのはそれでメンタルやられますから…。


そういう悲劇を起こさないためにも人の持つキャパシティはよくよく見ておきましょう。いくら優秀なシステムエンジニアであっても、人を見られる幅には限りがあるんですから。