出来ていないことを出来ていないと言わないで何をどう見ているかをスキトラする
レビューでも監査的なチェックでもいいのですが、レビューアや指導する、又は、指導しなければならない立場の場合、ついつい指示っぽくコメントを出してみたり、粗探しをしているような目で物事を見てしまう事態に陥ってしまうことがあります。
こうしたものの見方にはまってしまうと、本来見つけて、修正させなければならないことを見落としてしまうという本末転倒なことになりかねません。
そんなことになってしまっては、先々で指摘漏れが起きたら、その責を負うのはアウトプットを作った担当者はもちろんですが、レビューアも同列です。
どうなって欲しいかをハッキリする
レビューやチェックをいきなりするようなことはしないで、まずは、その行為をした後にレビューイにどうなって欲しいか、そのイメージを作ります。
なぜそのようなことをするかと言えば、レビューやチェックそのもの自体の行為によって、それが得られるかどうかという評価をするためです。
指摘をすることが目的ではない
得てして、レビューやチェックをするとなると、レビューで指摘をしたり、チェックでできていないことを見つけることが目的になっているんじゃないかと思わざるを得ないシーンを見ることがあります。そうしたシーンではレビューアが得意げに物言いをしているのでとてもわかりやすい。
でも、それ違いますよね。やらなければならないことは、その行為によって出来ていないことが指摘により出来た、となって欲しいわけです。
つまり、指摘をすることで出来るようになった、基準を満たすようになった、不具合を見つけられた、ということを実現したいわけです。
どうなって欲しいかがハッキリすれば物言いが変わる
例えば、プロジェクトのルールどおりに物作りをして欲しい場合、出来ていないことを挙げ連ねても誰も嬉しくなんてないわけです。
それよりは、レビューやチェックを通して、レビューイがそのレビュー以後、自らがレビューで指摘されたことに気づけるようになって欲しい、と思うわけです。
そうでなければ、レビュー観点の分だけ、レビューアの仕事があることにあり、アウトプットとそれをレビューする回数分だけ仕事があることになり、全部の指摘が修正されるまで仕事が終わらない、ということになってしまいます。
そうならないために、どうなって欲しいかそのイメージを実現するためには、レビューアが何をどう見ているか、その視点を、見方を説明しながら教えることが必要です。
レビューの体裁を通して、スキルトランスファーをする。これをしないと、いつまでたっても、出来ていないことを出来ていないと言い続けならなくなってしまいま