自分で決めたことを実現するのは実はとっても大変という話

また、人と歓談した際の気づきである。ある役員にインタビュー形式でその方のキャリアを聞いているとき、途中でこんなことを口にされた。

 

「自分が言ったことをやる、ということは大変だった」

 

実際にはその大変だったこと実現されて、分掌が変わったときに代替わりをしたので肩の荷が下りたらしい。世代交代もどうしたものかと思っていたら、部下から手が挙がったのが嬉しかった、と。

 

「自分が言ったことをやる」ことについて、自分自身を振り返ってみると、やはり出来ていないことの方が多い。あれこれしようと思っていてもそのとおりになっていない。仕事は大見得を切ることはないので淡々とこなしているが、思い通りにならないのは仕事以外のことばかりだ。

あれこれやりたいと思っても出来ること、やらなければならないことを優先してしまうので、もう少し新しいことなり、基礎力的なところをやろうとするとついつい後回しになってしまう。

「言ったことをやる」だけにフォーカスすると、逆に出来ていないことは「言わなかったこと」ばかりだ。よく自己啓発系の本や自己実現の本に書かれているように、言語化したり、可視化しないと実現できないというのは、こうしたことの裏返しなのかもしれない。

ただ、それだとおかしなことになるのが、実現できたことも誰にも言わなかったことばかりだ。仕事なら共同作業や分業をするだろうから、言語化したり可視化しないと協働するためには言葉として発する。

権限や予算をつけてもらうなら、上司なり決裁者の許可なり、同意を得るためにやはり言葉にする。

そう考えると、オフタイムで何かをするということは、実は仕事以上に大変なのではないかと思い至る。

なぜ大変かということを考えるとき、誰が許可をしているかという観点があることに気づく。仕事なら上司や決裁者である。そのリソースを使って良いという判断がなされる。

では、オフタイムでは。

権限を持つのは自分であり、自分が自分にやって良いと意思決定しなければ始まらないし、更に言えば、自分か自分に対してやろうと言わなければならない。

ここで出来ることや外部制約的にやらなければならない方を優先していると結果的にオフタイムでは手付かずのままで時間だけが消費されているのだ。

言ったことをやるだけでも大変なのに、言ってないことを実現するのはもっと大変なのだ。とは言え、あれこれやりたいとベラベラと口に出してもワナビーなのだが。