会議を無双する無双おじさんと議論する

先だって、担当しているタスクの会議の予定があり、前日の夕方にagendaと資料のリンクを投げてから帰ったのである。

翌朝、メールを開くとカウンタの方から返信を受診していた。メールを開くと感謝の意が簡潔に書かれていた。

これをどう取るか、である。カウンタの方は切れ者だし、タスクのオーナ側である。一旦、この返信は既読したぞ、ということに解釈することとした。

始業早々、別の方からは直接、資料の出来についてお褒めの言葉をいただくという僥倖となった。『皆さんのアドバイスがあったから』とサラリと受け流したのは実際、そうしなければまとまる資料も纏まらないからである。

ところが、である。

会議が始まると、件の感謝を述べられた方が資料を差し置いて、タスクの進め方を一歩高い位置から俯瞰しているような発言をされ始める。

このときの、自分の対応について、会議の後に参加者(この方も切れ者)から

『対応が上手いですね、私だったらコメントに対してイライラしながら一々答えてしまう』

と(お褒めの?)感想をいただく。

どのようなやり取りをしたかを詳細に綴っても、経緯を知らなければ返ってわかりにくくなるし、コンプラもあるので書けるものではないし、側から読んでも面白いものではないだろう。

感謝のメールをもらい、周りからも出来についてはいい感じだとか、頑張ったね、とかおじさん同士がほめあう程度の出来であったところで、会議で無双されそうになったが、(実際は、無双されているのではなく)ハイレベルなコメントをされていることに気づいたので、資料上の会議の目的の要素要素を押さえることをしつつ、会議を終わらせたのである。

さて、このとき自分の中では何を考えて、どう行動していたか。

まず、無双しているおじさんの相手は自分である。これを忘れてはいけない。だから、どう応対するかは別として、議論を成立させなければならない。

次に、無双おじさんの意見を傾聴しなければならない。なぜなら、議論をするためには相手の言いたいことを理解しなければならないからである。

会議などで、作った資料に対して、出席者から様々なコメントが出るものであるが、そうしたコメントの意図を理解することは当然である。その理解は、コメントされたことを『そのまま』反映するためではない。コメントの裏側にある意図を理解するためである。

議論になっている資料は作成者が一番理解できているはずで、そうでなければ資料のロジックができていないことを意味する。そういった資料は会議が破綻して打ち切りになる。

なぜ無双おじさんのコメントを理解するか、それは議論するためである。そうしたコメントでは一見、資料を否定しているような発言に受け止められる場合がある。ただ、よくよく聞き取り、意図を確かめるとそうではないことがままある。

そういったときは、抜けている別の視点を指摘していることが多い。それを聞き取るのである。

傾聴する目的は、そうした意味合いがあるのであるが、他者から見れば上手に対応しているとしか見えない。

では、どうして一見、資料について無双されている(ように見える)のに、平然と(平然としていましたよ)聞き、本来したかった資料確認をした上で、無双コメントを聞き出せるのか。

リスペクトしているから。

自分の資料に対して真剣に考え、コメントをしているのである。これもよくよく聞いているとわかるのは、前日に配布した資料を事前に読み込んで準備されているのである。無双おじさんも自分のことをちゃんと見ているのである。

つまり、双方で、リスペクトの関係の上に議論をしているから議論として成り立っているのである。

個人的にはリスペクトという言葉はあまり使わない。ただ、エンジニア、アジャイル界隈ではよく使われるので使うこともある。自分としては

『相手を認める』

で十分でなのであるが、これまた取り方が違う方がおられるので面倒くさい。

 

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