街場の現代思想 内田樹
ひどいじゃないか、図書館の本なのに数ページごとに上の隅やら、下の隅やら折った形跡があって、始末の悪いことに活字に被っているページもあった。
誠に業腹である。
で、「文化資本とは何か」の箇所の
要するに、どこかに「差異」を生み出して、それを媒介にして「交換」が行われる限り、どんな差異でも差異でありすれば「資本」は運動する。
と言うくだりは、なぁるほど!と。日頃のやっていて、なかなか次の「差異」を生むのに四苦八苦している者としては、そうなんだよなぁと変に納得せざる得ない。しかも、最後に「努力したら負け」なんて、「働いたら負けかなって思っている」に通じているし。
街場の常識 第3回「給与について」の
君は能力主義社会を希望するか。
のところなのだけれど、そうなんだよ。同じように考えている人がいるものだ。目標管理制度は上手く使えるのなら、モチベーションを持たせるのには、ゴールがはっきりと見えるのだから、わかり易い良い制度と思っている。あくまでも、上手く使えるのなら、であるが。
ところが、完全な能力主義だけで考課査定されるとなると、もうそれはたまらない。自分が査定される立場は今でも変わらないのだけれど、とても耐えられそうにない。なぜか。この本にも書いてあるとおり、すべて能力だけで評価されて序列されてしまうから。これは、随分前に気付いたのだ。目標管理制度は、2000年過ぎに導入されたから、5年以上前のことだ。
2008年になって、いくつかの上場企業は、目標管理制度をやめて、更新育成などに貢献した社員を評価するように動いている。
個人的には、目標管理制度と合わせて更新育成や営業支援的なアクティビティなどを評価軸として、加点方式で評価し、会社にプラスにならない業績でなければ、全体としては数百円程度の少額で良いから報いることを考えるべきだろう。
街場の常識 第4回「ワーク・モチベーションについて」の
こうして企業は落ち目の段階に入ることになり、そこで働く人たちは、「より小さな権力、より少ない情報、より安い賃金」という縮小再生産のプロセスに踏み込むことになる。
って、なんてどこかの会社で聞いたことがあるような、ないような。同じように、第6回の「社内改革について」も
君が社内改革を果たしうる可能性は、社内改革を目指す運動が、すでに君を巻き込んで始まっている場合にしか存在しないのである。
と、きた。うはー、どこの会社の話なのかしらん。わー、できていないな、と思って振り返って見たら、いやいや巻き込まれているのかも、って気もしてきたよ。当事者なのかしらん。
最後に、第8回「結婚という終わりなき不快について」は、これは笑った。本当に、笑った。そのとおりだもの、と思ったから。
「自由なパートナーシップ」には付随していなくて、「結婚契約」のみ付随しているものは端的に言えばただ一つしかない。
それは「先方の親族」である。
これは、当方の嫁の親族のことではなくて、我が方のことである。嫁、すまぬ。なのでというか思うところがあって、距離を置いて、一見醒めた現代人のような気取りでいるのであるが、最後の方に
人間を真に「人間的」なものたらしめているのは快楽ではない。「受難」である。
とある。先の「先方の親族」の間に数ページあって話が飛ぶのだけれど、それはさておき、いまだ受難を易々と受け入れられるほど、大人ではないと再度自覚した週末であった。
読まれたし。