涙もろい40代


仕事をするようになったときはまだ22-23才くらいのころで、職場の30代の先輩たちはとても大人に見えて、自分が30代になるなんて思いもしなかった。
ましてや、40代の課長なんて普段見ることもなくて、−そう、そのころの職場は客先で課長はほとんど見かけることがなかった−、「課長、こえー感じ」くらいしか思っていなかったし、30を超えた40代なんて想像もつかなかった。


そんな20代のころがあって。
当たり前だが、毎年、一つ歳を取って。
気が付けば、30代を目前して、彼女もろくにいないことを気にし始めて、仕事もろくにできないことにあせって。


どちらかというと、感情の反応はあるけれど、すごく熱くなったりするような感受性はなかった。
いやそんなことはない、瞬間湯沸かし器のように“パッと”熱くなる方だった。
すぐにスイッチが入る方だった。
バカだったから。


若いころ、そう、20代で感動して涙するなんて、そうそうあることではなかった。
「なんでさ、ナミダしているんだい?」みたいな。


30代も半ばを過ぎると、ちょっと、変わってくる。
あれ、こんなところで「オレ、なんで涙ぐんでいるんだ?」ということに戸惑う。
子を持つようになって、子と過ごし、記憶を重ねる時間を持つようになると、こころの奥底でそれが刻まれるのだろうか。
そして、同じように記憶されたことを別の時間で体験すると、過去に刻まれた記憶が呼び出され、こころを揺さぶられるからだからだろうか。


40代にもなると、もう、どうしようもなくなる。
結婚式で親族のおばあちゃんが涙ぐむ風景をそばで見ているだけで、その涙が移るような気がする。
なんでかな。
リアルな経験でなくても、たとえば、本を読んでいたり、アニメを観ていたり。
そんな些細なことでも、同じように、涙ぐむことがある。


もう、涙腺開きっぱなし、というより、感性が解放され放しになっているようなものだ。
やっぱり、

子を持つようになって、子と過ごし、記憶を重ねる時間を持つようになると、こころの奥底でそれが刻まれる、

このせいなのだろうか。


もしそうだとするなら、涙もろい40代になるために、1億総結婚を進め、涙もろく、幸せな40代を経験してもらわなくてはいけない。
こんな貴重な経験をしないなんて、もったいない。



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