“何か変”と感じたら、見逃すな

過去のプロジェクトで、違和感に気づきながらそのタイミングで手を打たず、痛い目にあったことがある。
そのあとの後始末が大変だった。
本当に。


それから、考え方を変えたことがある。
“何か変”と感じたら、見逃さない。
絶対にだ。
あの、後始末をもう一度するくらいなら、いま、この違和感が“問題”なのか“問題でない”のか白黒つける。
世間一般では、これをリスク管理というかもしれないけれど、これはそんなかっこ良いものじゃないし、リスク管理という耳障りのよい言葉で括りたくない。


この“何か変”というものは、感覚、嗅覚の問題だ。
この感覚を得られるかどうか、先天性の才覚をもっているか、若しくは、苦い経験をして二度とするものか、と思うかのどちらかだ。
不思議なことに、こういった経験を何度も経験しているに一向に学習しない人もいて、そういった人はこの“感覚”に気づいていないのだろう。
これからも。


自分が担当している仕事が予定から遅れてしまっているなら、いまその時点ではもう“遅い”のだ。
最初に計画を立てるとき、そこで知覚することがベストで、どんなに遅くとも、予定と実績が遅れ始めたときに手を打たなければ、もう、取り返すのは大変な労力を必要とする。


だから、“何か変”と感じたら、見逃してはいけないのだ。


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