意識の高いエンジニア
意識の高い学生を採用するということの意味
意識の高い学生が話題のようだけれど、良いではないか、組織にひとり二人いたって。それが組織として成り立つ正しい姿だ。意識が高かろうが低ひくかろうがその組織で採用する基準があって、それをクリアする学生を採用しているのだから、意識の高低は問題ではない。就活で実しやかに言われるバズワードに踊らされるような学生は、そもそも適正試験やグループディスカッションやリクルータ面接などで、ふるいにかけられる。そんな勘違い君のことまで心配することはないのだ。その上で、意識の高い学生がすり抜けてくるなら笑顔で選抜すればよいではないか。学生と接することで、今の大学生の意識や生活など知ることが出来るし、学びや気付きを得られるものだ。
多様性は将来のリスクを分散する
選抜をすり抜けてきた意識の高い学生意識の低い学生それが幅広く存在し、それを採用できるならその組織には多様性がある。採用する側は、採用する組織のエンジニアと同じような姿、タレントを持つ学生ばかり採用を続けることが良いことかどうなのかは、ちょっと考えればわかるものだ。そうは言っても、組織は自分と同じような姿、考え方の方が“今いる人は楽”だから、同じような属性を持つ学生を採用したくなる。しかし、それが蔓延すると決まった処理は滞りなく対処できるがいざとなったとき組織として対処できなくなってしまう危険性を孕む。実際、それが起きてからでは遅いが。
一緒に働きたいと思う学生か
組織としての多様性の危惧もあるが、一個人としても、自分と違うことを受けれなければ、先々の問題を生ずるだろう。高だか、意識の高い学生くらい認められない器の小さなエンジニアが、都度違う顧客の要求を満たすような無理難題を受け入れ、認識し、応えられるのだろうか。組織のひとりのエンジニアとしての視点を変えてみたらどうだろう。上司や同僚から、“自分自身”を客観的に観たとき、“ワタシ”は意識の高いエンジニアでないのだろうか。では、意識の高い学生を認めないことは、自己の個性を否定するということにならないのだろうか。結局、意識が高かろうが低かろうがワタシ、いちエンジニアから見たら意識の肯定なんてどうでも良いことなのだ。多様性を認めないということは自分の個性も否定するということになるのだから。そんなことより、“一緒に働きたいと思う学生か”どうか、だけなのだ。
ひとこと
ノマドワーカーが自宅で働いたらSOHOじゃん、と思っている。
- 道具室(アプリとか)
- 図書室
これ、買いましたわ。
アジャイルと規律 ?ソフトウエア開発を成功させる2つの鍵のバランス?
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