あるものがそこにない不安からくる妄想


何かおかしい、いつもの風景
昨夜帰宅し家の傍まできたら、どうやら様子が変だ。外から見える出窓のカーテン越しの明かりが見えない。真っ暗だ。隣の窓は雨戸が閉まっているのでそれはいつもどおり。家の前まで来ると、自転車が1台もない。なんかおかしい。車はある。自転車がないのだから、車を使うはずがない。辻褄は合っている。でも、何かおかしい。何かがいつもと違う。

まるで神隠し
玄関は、鍵がかかっているので自分で開ける。いつもなら、インターフォンで開けてもらう。自分でも鍵を持っているけれど、いつも開けてもらう。儀式と言うか、習慣というか。迎えてもらいたいと言う一種の承認要求かもしれない。ポーチライトはついてた。玄関の明かりはどうだったか今では判然としない。それより中に入ろう。何かあったのかもしれない。ワイフの体調が悪くなったとか、子が風邪を引いたとか。そういったことかもしれない。リビングダイニングの中扉を開ける。
もぬけの殻だ。ダイニングの明かりは点いている。テレビは消えている。エアコンも止めてある。ダイニングテーブルの上には食事をしたそのままの形跡がある。

「まるで『神隠し』のようだ。」

もしかしたら、犯罪に巻き込まれた?のかもしれない。去年くらいからの市の防犯メールを見る限り、治安は良いとは思えない。自転車盗難、空き巣、住居侵入など増えているように思える。もしかしたら、連れ去られた?もう一人の自分が客観的に言う。

「それはアニメやミステリーの見過ぎの影響だよ。」

そうは言っても、誰もいない。なぜか洗濯機が回っている。洗濯機をかけたままというところがおかしい。何か不自然だ。なんだろう、この不安感は。

「さて風呂に入ろう。」

現実を直面すると、人は現実を逃避しだす。風呂は残り湯のままだ。残り湯を抜いて、洗おう。スーツを着替えに寝室に向かう。ズボンをハンガーに掛けて吊るす。そして風呂場に戻る。栓を抜いておいた風呂に洗剤を吹き付け洗う。まるで何もおきていないように平然な顔をして。気持ちの中は良くわからない。まぜこぜだ。
泡を洗い流して、湯を溜める。その間に鞄から洗うハンドタオルなどを出そう。そうそう、iPhoneも充電しなくちゃ。さて、風呂の湯が溜まったか。すこし少ないが入ってしまおう。何食わぬ顔をして、風呂に入り、体をいつものとおり、洗う。足の指はいつものように丁寧に。そして風呂から上がり、着替え、エアコンで冷えたリビングダイニングのテレビを点けて、最近お気に入りの「鶴瓶の家族に乾杯」を見る。食事が残されてたままなので、そのまま、少し箸をつける。

「どうしたのかな。」
「不安ならメールすればいいじゃないか。」

もっともなことを言う。客観的なもう一人の自分が言う。でもメールはしない。自転車を運転していて携帯がなれば気にするだろう。今いない理由がたいしたことがなくても、もし、メールを見て急いで帰ろうとして、慌てられて、事故にでもあったら嫌だから。だから今はそのときではない。

そうしていくらか時間が経ったとき、リビングダイニングの中扉が開いた。あっけらかんとして買い物袋を提げて。ワイフも子も次々と帰ってきた。当たり前だ。出かけていたら、帰ってくる。家だからな。ひとりごちる。

「どうしたの?」
「ちょっと必要になったものがあって買い物に行ってた。」

たしかにマツキヨの袋もあるからそうなんだろう。子も袋を提げていた。子が夕飯を食べていたときに明日必要なものを思い出したのかもしれない。

「(まったく...。)」
「出かけるときは、メール欲しいな。」
「いつ帰ってくるかわからないから。メールして急がれてもって思ったし。」

どうやらワイフも同じように気を使っていたようだ。しかし、だ。あまりに不安だったので、料理で使った器具の後片付けを粗方してしまったではないか。ホシザキの食器洗い機できれいに洗うのは好きだから、気に留めないが。
しかしだ。

「さみしいんだよ。」

いつもある風景。いつも居る家族。そしてそれがないときにくる不安。いろいろな妄想。