もうすぐ50代だけれど、ネットは続けていこうとは思う


なぜか不思議とプロジェクトのゴールやメンバの育成目標なんて割と整理しながら今時点での方向性を導くことはできるのだけれど、それって、ワタシのことじゃないんだ。


ワタシがワタシの将来を考えて自分自身で舵を切って、歩む方向を決めたことはこれまで何度か思うところもあって書いてきたけれど、今から先のことはちょっとイメージし辛くてなんとも言えない気分になってしまう。


もうすぐ50代なんですね。あと数年。50歳になると割と長めのリフレッシュ休暇をもらえるので家族で海外にでも行きたいなぁ、って一度話したことはあるんですがその頃は、丁度、子どもたちが受験なのでそれも時期を選ばないとダメそうで。去年の受験のときもそうした時期だったから家族旅行は取りやめにした経緯もあって家族の中での価値判断は学業優先になっていることは、


“やらないといけないことをやらないで後で後悔するくらいならやることをやっておこう”


と思っているから。これは実際ワイフと会話したときに自分が言ったことで、実際、そう判断したから行きたい学校を選ぶことが出来てそれはそれでその選択は「まぁ、よかったんじゃないか。」って思った。


やらないで後悔したくないもの。


ならね、そうして子どもの進路を含めて“だいたいあっている”方向へ価値判断を含めて導けるなら、ワタシ自身のことなんて「ちゃらいでしょ。」って思うかもしれないけれど、そうじゃないんだなぁ。


それはある意味、自分自身のことであるからこそ、問題先送りしているかもしれないし、実際、そうなんだと思う。たぶん、あと10年もしたら定年制なんて廃止になっているじゃないか、と思うし、そうしたら体力の続く限り働くんだろうし、そのためには自分の価値も体力も向上させるようなアクティビティをしておかないと。


そろそろ、社外で実名でいろいろ活動することも考えておかないといけないかなーって思うし、そうすると、それはそれでまた一つ自分の売りを見つけておかないとね、って気持ちにもなる。


そういう意味で、つまりエンジニアとしての価値はその方向でいいのだろうけれど、果たして、一個人としての行く先が今一つなのはさっぱりわからないのは変わっていないし、その先々の自分の生活がどこまでやれるのかが全く持ってわかならいんだなぁ。


周りに聞いてもそれはワタシの人生ではないから聞いて参考になるわけがないのは仕方がないんだけれど、もう暫くは子どもが学生である時間だけは諸々の問題は先延ばししておこう。


そうそう、ネットは続けていこうとは思う。